古き良きアメリカ。

20世紀はアメリカの時代であった。
圧倒的な産業力、圧倒的な経済力、圧倒的な軍事力、必然的にそれらからもたらされる圧倒的な政治力。世界の主役は、ヨーロッパからアメリカへ移った。ソ連の崩壊で消えたが、一時、パックス・ルッソ・アメリカーナと言われる時代はあった。しかし、それは軍事的なごく限られた分野のみ。冷戦期であったればこその物言いで、本質はアメリカ支配の時代に変わりはない。
その20世紀を通しての強国・アメリカが、20世紀半ばまで、旧世界・ヨーロッパの後塵を拝していた分野がある。文化力、なかんずく美術の分野である。アメリカの美術が世界に躍り出たのは、第二次大戦後、ウィレム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義を嚆矢とする。1940年代後半から50年代にかけて。
そして、1960年代のポップアート。アメリカ美術は、世界美術の中心に躍り出た。ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、ジム・ダイン、アンディー・ウォーホル、クレイス・オルデンバーグ、ロイ・リキテンシュテイン、・・・・・、何人ものアメリカンポップアートのスーパスターの名が思い浮かぶ。アメリカ美術が世界を席巻した。世界美術の中心は、パリからニューヨークへ移動した。
しかし、20世紀も半ば、5〜60年代までは、世界一の強国・アメリカも美術の世界では、その他大勢の国々と同様だった。少し乱暴に言えば。唯一の例外は、ジョージア・オキーフのみ。
元々アメリカの美術、とても素朴なものなんだ。風景画、人物画、丁寧に描いた写実的なものが主流である。19世紀の終わりごろからは、ヨーロッパの潮流を受けとめている。自然主義、印象派、フォービズム、キュービズム、シュールレアリズム、ダダイズム、その折々のヨーロッパの後追いをしている。日本と同じ。
一昨日まで、国立新美術館で開かれていた「モダン・アート・アメリカン」というタイトルの展覧会、そのようなアメリカが世界美術の主役に躍り出るまでの時代の作品を展示した。ジャクソン・ポロックの作品もあるが、ドロッピング以前の作品。ポップアート以前のアメリカ美術。いわば、古き良きアメリカの美術だ。

アメリカの金持ちには、その資産を社会還元する人が多くいる。鉄鋼会社の創業者を祖父に持つダンカン・フィリップスもその一人。アメリカ初の近代美術館を創った。先般来、巷を賑わわせている製紙会社の創業者を祖父に持つ日本人も、マカオのカジノで100数十億費消するなら、美術館のひとつもできたのに、と考える。
まあ、マカオのカジノも面白いし、悪くはないのだが。そこでは、100ドルや200ドルといったチンケな金でも面白いのだから。そう、カジノも美術作品も、いい。
何だか混乱してくるな。余計な方へ行ってしまう。
これは、地下鉄の乃木坂駅を降りたところにあった看板。
左は、エドワード・ホッパーの「日曜日」。右は、ジョージア・オキーフの「葉のかたち」。

新美術館の壁に貼られたポスター。背景とどこやら調和しているように見える。
さほど多いわけではないが、今までいろんな国の人と関わりを持ってきた。その中でアメリカの人は、概ね素朴でピュアな人が多い。この人もきっとそうなんだ。ニュージャージーの道端に座り何やら考え事をしている。日曜日だというのに。1926年の作。29年の大恐慌が近づきつつある頃の作。

写りは良くないが、ジョージア・オキーフの作品。不思議な作品だ。オキーフのみが、20世紀前半、美術後進国・アメリカの隙間を埋める。