空海(続き)。

東博での「空海と密教美術展」、2か月余の長期にわたったが、途中で展示品の入れ替えもあり、中には、10日間の限定公開、というものもあった。
東博だから貸し出す。しかし、大事な国宝、重文だ。ワサワサと人がくる中に、長い間置いてほしくはない、という寺側の要望も強かったであろう。
しかし、東博の空海展に合わせてであろう、8月初め、NHKで「空海 至宝と人生」、という番組を流した。”仏像”、”名筆”、”曼荼羅”、と3夜連続で。東博では、観ることができなかったものもある。その映像から少し。

今回、8尊が東京へお出でになった、東寺の立体曼荼羅。

高野山、根本大塔内陣。
これも、密教の宇宙観を表わす立体曼荼羅に違いない。
しかし、曼荼羅といえば、やはり、立体よりは平面。それも、まず頭に浮かぶのは、両界曼荼羅(両部曼荼羅)だ。
日本最古の両界曼荼羅は、京都、神護寺の「高雄曼荼羅」だそうだ。東博での展示は、胎蔵界、金剛界とも、それぞれ10日ばかり。残念ながら、観ることはできなかった。
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それが、これ。日本最古の曼荼羅・「高雄曼荼羅」だ。
NHKの画面でも、よくは解からない。それぞれ10日ばかりだとはいえ、神護寺、よくぞ貸し出したものだ。
しかし、今はこのような状態だが、元々は、金銀泥で描かれ輝やいていた、という。

東博にはお見えではなかったが、国宝・「小島曼荼羅」。奈良、小嶋寺に伝来する両界曼荼羅。
紺地に金と銀で描かれている。上の写真は、その精巧な複製。奈良国立博物館の蔵。

その中心部、大日如来。

東寺の両界曼荼羅、国宝・「西院曼荼羅」。私が、行った時の東博、金剛界の展示期間であった。
写真はないが、高野山、金剛峯寺の両界曼荼羅、重文・「血曼荼羅」もあった。やはり、金剛界であったが。
高野山の「血曼荼羅」、胎蔵界の方が面白い。中心部、大日如来を描くのに、平清盛の頭の血を混ぜた絵具が使われた、と伝えられている故。だから、「血曼荼羅」。

これは、東寺「西院曼荼羅」の胎蔵界。

こちらは、金剛界。
ところで、”曼荼羅”、”マンダラ”って何だろう。
いろんな人が、さまざまなことを言っている。オーソドックスな見解は、学者に聞こうか。種智院大学学長の頼富本宏は、『密教と曼荼羅』(世界文化社、2005年刊)の中で、こう言っている。
<曼荼羅には種々の理解が可能であるが、ほとけに象徴される「聖なるもの」を表出した一種のコスモグラフィーであることは事実である。そのことを裏付けるように「マンダラ」という言葉は二つの部分から成っている。すなわち、前半の「マンダ」は、「核」とか「心髄」の意味で、後半の「ラ」は、所有を意味する後接辞である。両者を総合すると、成語としては、「本質を有するもの」という意味をもつ>、と。
引用が長くなったが、学者の言うことだ、仕方ない。噛んで砕いて教えてくれる。それでも、確と解かった、とまでは言えないが、まあ、解かった、という程度には言えるだろう。

これは、「西院曼荼羅」の胎蔵界の中心佛・大日如来のお顔だった、と思う。NHKの放映、ひと月以上も前のことなので、記憶、不確かであるが。
私には、曼荼羅・マンダラというと、思い浮かぶ男が何人かいる。
学者では、上に記した頼富本宏と真鍋俊照。ビジュアル面では、画家の前田常作とグラフィックデザイナーの杉浦康平。その杉浦康平、NHKの画面にも出てきた。
記憶が朧で申しわけないが、杉浦康平、たしか、こう言っていたような気がする。
胎蔵界に描かれた大日如来のお顔は、修業を始めたばかりの子供の顔、と。

これは、金剛界に描かれた大日如来のお顔。
杉浦康平、こう言っていたような気がする。こちらは、成人した大人の顔だ、と。
そうか。そうなのか。そうとは、知らなかった。

この佛、どうして、こうなったのか。
どうしてなのか、まったく憶えていない。だが、面白い。
その内、杉浦康平の言も含め、記憶力のいいヤツか、録画をしている御仁が、教えてくれるだろう。