空海(続きの続き)。

NHKの番組中、「曼荼羅の宇宙」の巻では、ダンサーの森山開次が、高野山はじめあちこちの曼荼羅を訪ね歩く。
「曼荼羅を見ていると、自分の身体の中に入ってくるように思った」、と森山は言う。「曼荼羅から受けとったメッセージを、ダンスで表現したい」、とも。
森山開次のダンス、今、大変な人気らしい。”驚異のダンサー”として。特に、海外で。映像でしか観たことがないが、そうかな、と思っていた。ジョルジュ・ドンの力強さにも、田中泯の深い精神性にもほど遠い、と。
しかし、曼荼羅の図像の前での森山開次の踊り、これはいい。面白い。

曼荼羅と森山開次のコラボ、始まる。

髪を宝髻に結いあげ。薄衣をまとい。

「身体の中から、なにか伝えたい」、と。

佛の教えを、自らの身体に重ね合わせて踊る。

「等身大の自分を隠さないで、いろいろな気持ちを出していく。そこから探したい」、というようなことも言っていた。

バックに、般若心経が流れる。

ここからは、上半身布をまとわずに踊る。
バレエと言わず、ダンスと言わず、男性舞踊手の踊り、上半身裸がいい。とても、セクシャル。こんなことを書くとナンなんだが、これ、踊りの魅力のひとつである。

ダンスを始めたのは、二十歳を過ぎてから、という森山開次、特に師がいるわけではないらしい。振付師がいるわけでもない。自らの踊り、自らが振りつける。独創性が、勝負。
4〜5日前、アキコ・カンダが死んだ。アキコ・カンダが踊りを習った、マーサ・グラハムのアメリカン・モダンダンスの流れとも、無縁。それだからこそ、別種の踊りであるからこそ、森山開次のダンス、ニューヨークで受け入れられたのであろう。
かと言って、日本発祥の暗黒舞踏の系譜とも、無縁。これは、まったく異なる。

「佛の教えを、・・・・・」、とか、「等身大に自分を隠さないで、そこから・・・・・」、とか言っていた森山の踊り、曼荼羅の前では、とても面白い。”なにか”、があるようにも思える。

森山開次の踊り、さほどのものとも思っていなかったが、曼荼羅とのコラボ、興味深いものであった。
これも、空海の縁。