久しぶりの飲み会。

夕刻、国立新美術館の二科展へ。会友・久保寺洋子の作品前で、何人かの古い仲間集合。
会場、相変わらず夥しい数の作品で埋まる。ほとんど観ず。久保寺の作品のみ観る。

久保寺洋子の今年の出品作。タイトルは、『輪違屋 3』。100号の油彩。京都、島原の置屋「輪違屋」の花魁を描いたもの。
タイトルは、去年も一昨年も同じ。そうか、輪違屋の連作、3年目になるのか、と思ったらそうではない。タイトルに付いている”3”は、今年出品した輪違屋の中の3番目のものだ、という。今年、出したものの中で、審査に通ったのが、3番目のものだそうだ。
会友は、2点以上出さなくてはならないそうだ。その内の1点が審査に通る、という仕掛けになっているらしい。だから、久保寺、今年は3点の輪違屋、島原の花魁を3点描き、出品したらしい。
ということは、久保寺は、ここ数年、島原の花魁を10点以上描いたことになる。聞くと、「そうよ」、と涼しい顔で応えていた。
毎年、同じように見えなくもないが、もちろん、違う。新技法がその都度用いられている。布を使ったり、サランラップを使ったり、と。画面に貼りつけているのではない。それらを使って絵具を塗る、ということのようだ。久保寺洋子、楽しかろう。

休憩室に、作家の仕事場だったか、画室だったか、そういった説明の写真が並んでいた。何人かの作家の仕事場が、掲げられている。
二科の重鎮・織田廣喜の画室の写真もあった。1914年生まれ(昨日の新藤兼人より、少し若いだけだ)の織田廣喜、こういう言葉を添えている。
「私は何も持っていません。何時も心の中は空っぽ。からっぽだから湧いてくる。・・・・・描きたいものだけ描いて、この年まで生きてこられたのだから、皆さんに感謝しています。ありがたいことです」、と。
織田廣喜、100年近くも、幸せな人生を送ってきたものとみえる。
後、神保町に移り、来月開く古い仲間内のグループ展の打ち合せ。10数人の参加者集まる。打ち合せと言っても、幹事役は大変だが、あとの連中は、気楽なもの。私も気楽組。なでしこジャパンの今日の一番、どうなったか心配していたが、1−0で勝ったということで、ホッ。
打ち合せ後は、場所を移して飲み会。仲間内のグループ展も5回目となるが、もともとは仲間内の飲み会から、やろうか、となったもの。飲み会ばかりでも、能がないじゃないか、ということで。年もとってきたし、ということもあり。だから、飲み会がメーン。今日も、飲み会のほうが長かった。
この夏、体調を崩したこともあり、久しぶりの飲み会、少し疲れた。