輪違屋糸里 京女たちの幕末。

幕末の京都、殺し殺されの修羅場が続いていた。
朝廷も幕府も、尊王攘夷だ、いや公武合体だとその時々の情勢次第で身をひるがえす。いつの時代も、上つ方はこのようなもの。殺し殺されは末端の人たちがやっていた。
慶応3年(1867)11月15日、京都河原町通蛸薬師下ルの近江屋で、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された。
今もって絶大な人気を誇る勤王の志士・坂本龍馬を襲ったのは、京都見廻組。幕臣で構成された幕府側の護衛組織。
尊皇、勤皇の立場で殺された坂本龍馬とともに、その真逆、戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いから函館まで、幕府に忠誠を尽くした新選組の土方歳三の人気も高い。函館の五稜郭には土方歳三の彫像がある。流山市立博物館には土方歳三の大きな写真がある。共に美男子。女子に人気は、そこにもある。
それはそれとし、同じ幕府側の用心棒的役回りであっても京都見廻り組は武士の組織であるが、新選組はそのほとんどが農民の出。近藤勇も土方歳三も元はと言えば日野の農民。それが兵士求むという募集に応じて江戸から壬生屯所に入った。少し乱暴に言えば「傭兵」だ。
実は初期の新選組内でもゴタゴタがある。初期の新選組の局長は二人いた。芹沢鴨と近藤勇。芹沢鴨は元々武士の出、対して近藤勇や土方歳三は農民の出。ある時ぶつかる。
土方歳三たち、芹沢鴨を襲い斬殺する。芹沢鴨の腹心・平山五郎も。
なんだかこんなことを記していては、なかなか〚輪違屋糸里 京女たちの幕末〛に行きつかないな。
端折っちゃおー。
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新選組の土方歳三も、殺される平山五郎も芹沢鴨も、3人が3人共島原の天神、芸妓たちと関係を持っていた。
<京には刀では切れない糸があった>って惹句にあるが、そんな美しいものではない。
明日の命をも知れぬ新選組の若者と島原の花街の女の関係は、生々しいものに違いない。現実にも、そう。
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『輪違屋糸里 京女たちの幕末』、原作:浅田次郎、監督:加島幹也。
原色を多用し、京都島原の艶やかさ、そして哀しさを表わしていく。
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土方歳三(右)は、京都、島原輪違屋の天神・糸里が思いをよせる男。
平山五郎(中央)は、輪違屋の糸里と仲がいい桔梗屋の芸妓・吉栄といい仲。しかし、平山には吉栄を身請けするだけのものはない。
芹沢鴨(左)は、お梅(左上)と深い仲。土方歳三たちに襲われ殺された時も、泥酔しお梅と同衾中であった。
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<男はんの夢のためやったら ・・・ ・・・ 斬られて本望や>、輪違屋糸里(藤野涼子)が新選組の後ろ盾である会津藩主・松平容保にたいして発した啖呵だったか。
明治維新直前、1860年代である。今からわずか150~160年前のこと。
坂本龍馬も、近藤勇も、土方歳三も、その他の皆さんも皆30代の初めで死んでいった。殺し殺され。
命のやり取りのない日常を送り年取ってしまった私、どこか羨望の思いがある。


ところで、「輪違屋」と聞くと久保寺洋子の≪輪違屋≫を思いだす。
久保寺洋子、学生時代のサークル仲間。二科の会友で、毎年100号の油彩「輪違屋」を3点描いている。ここ10年ばかり。
毎年今ごろになると、「今年も二科の季節となりました。・・・」という一筆箋と共に二科展の招待状が送られてくるのだが、今年の二科展は新型コロナで中止になったそうだ。
作家の久保寺も残念であろうが、毎年仲間で久保寺作品の前に集まっていた我々古い仲間も残念だ。