新藤兼人の思いと、天皇のお心。

3日前に記したドナルド・キーンは89歳だが、この人は99歳。
ノンビリと生きているどころじゃない。骨董じゃない男・新藤兼人、執念を持って人生最後の映画を創りあげた。

『一枚のハガキ』、戦争の愚かさを描いている。ごく普通に生きている人が、戦争に巻き込まれる悲しさを。哀しい男女のことごとも。涙も出る。
スラップスティック・コメディーのような場面もある。笑わせもする。最後には、希望も、再生も謳いあげる。
何でもかんでもを詰めこんでいる。新藤兼人の思いのすべてを。
他の監督がこのような映画を撮ったら、お前、一体これは、なんなんじゃ、ということになるかもしれない。しかし、この映画は、素晴らしい。傑作である。新藤兼人の技、なんてものではない。新藤兼人の思いが詰まっている。

新藤兼人、「言い残すことがないようにしたい」、という思いで、この映画・『一枚のハガキ』を撮った、という。
太平洋戦争末期、100人の中年兵が、天理へ掃除部隊として行っている。1か月が経ち、60名がフィリピンへ送られる。くじ引きで。残った兵の中から34人も船で戦地へ送られる。やはり、くじ引きで。これら94名の兵隊、すべて死ぬ。生き残ったのは、内地に残った6人のみ。不条理だ。
その生き残った兵のひとり、フィリピンへ送られる兵から一枚のハガキを託される。彼の妻からの、他愛なくも切ない文面のハガキ。検閲が恐く、返事は出さなかったが、「もし、お前が生きて帰ったら、ハガキは見た」、と女房へ伝えてくれ、と言って。
戦後まで生き残り、国へ帰った男の周りも苛酷だ。戦死した、との噂が流れ、女房はこの男の親父と出奔している。ある時、天理で託された一枚のハガキが、ポトリと出てくる。ハガキを届けに行く。鄙びた山の中の農村へ。みんな貧しい普通の人たちばかり。

「あんたは、何で死なないんじゃー」、フィリピンへ送られ死んだ男の女房は叫ぶ。哀しいよ。「94人の魂が、許しませんぞ」、とも。
この女、最初の亭主ばかりじゃなく、村のしきたりだから、といって結婚したその男の弟、二人の亭主を失っている。二人の亭主が出征する場面と、戦死して戻ってくる場面、とても印象的である。
貧しい藁ぶきの農家の前、万歳の声に送られて、タッタッタ、と出征する。上手から下手へ。そして、戦死し、トボトボトボ、と戻ってくる。下手から上手へ。同じ場面が、二度繰り返される。
長尺で撮ったこの映像、何やら小学校の学芸会の場面のよう。タッタッタと、トボトボトボが二度繰り返される様。
しかし、この場面、実にいい。印象に残る。小学校の学芸会のようではあるが、戦争の不条理な様、とてもよく表している。
女房が首に懸けた箱の中には、「英霊」、と書かれた紙一枚。骨はない。新藤兼人の真骨頂。凄い。

この映画、今上天皇もご覧になられたそうだ。
体調がすぐれない中、試写会場まで行かれたが、御所に戻られた美智子皇后も、戻られる前、主演の大竹しのぶに、こう仰られていたそうだ。「必ず観ますからね」、と。
新藤兼人と並んで、この映画をご覧になった後、今上天皇、新藤に、こう言われたそうだ。「最後に救いがあるのがいいですね」、と。
嬉しく、とてもありがたいお言葉である。
そして、こう思う。『一枚のハガキ』、皇太子にも、観ていただきたい、と。
愛子さまとのお出かけも、それはそれでいいが、このような映画、天皇、皇后ばかりじゃなく、皇太子にも是非観ていただきたい。いずれ、次代の天皇となられるお方なんだから。
今上天皇のお心、次代の天皇になられるお方にも、引き継いでいただきたい。