芙蓉咲く。

一昨日夕刻、散歩に出た。コーヒー屋で少し休み、ユックリと歩き帰ってきた。あちこちで芙蓉の花を見る。夕刻故、みなつぼんでいる。でも、風情がある。
道端の家の前で、女性が二人おしゃべりをしていた。芙蓉の花が咲いて(実際は、咲き終わり、つぼんでいるのだが)いる。その家の人らしい。「写真を撮ってもいいでしょうか」、と尋ねた。「どうぞ、どうぞ」、と言ってくれた。
「ウチのこれは、普通の芙蓉ですが」、と言い、「少し向うの家には、酔芙蓉があるのですが」、と言う。その家の方を見ても、それらしきものは見えず、その家の人が表に出ているようにもない。この家のつぼんだ芙蓉で充分。撮らせてもらったその家の芙蓉は、これ。

「もう、みんなつぼんでるので、午前中に来るといいですよ。いつでも、どうぞ」、と言ってくれる。たしかに6時前、すべてつぼんでいる。しかし、つぼんで咲いている、というように思えなくもない。つぼんでいても、花は花、と。
「ホレ、種がいっぱい落ちるんです。いっぱい実生が生えてきます。その頃なら、実生の苗をあげますよ」、と言い、「そうだ」、と言って家の中へ入り、剪定ばさみを持ってくる。ひと枝を切り、「この蕾は、明日咲きますよ。どうぞ」、と言う。「水があがるといいのだけど、まあ、大丈夫でしょう」、とも。
さらに枝を切ろうとするので、「いや、これで結構です」、とひと枝のみを頂戴した。

家に戻り、小さな器に活け、出窓に置いた。葉は、すでにクタッとしている。果たして水はあがるのか。
上にある蕾が、明日咲くでしょう、と言っていたもの。下のふたつは、その日咲いてつぼんだ花。

翌日、つまり、昨日の朝、起きると、芙蓉咲いていた。淡いピンクの五弁の花びらを、クルッと巻きあげて。
昨日のつぼんだ花は、クシャッとして、葉は、すべて干からびているのに。
そう言えば、今年はノロノロ台風に祟られたであろうが、数日前は、越中八尾の風の盆。
”蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない”の酔芙蓉、ではない。しかし、クルッとした芙蓉の花ひとつ、高橋治やなかにし礼の世界に通じるものがある、と言えなくもない。
あの話好きのオバさん、もとい、親切な女性、おわらの哀調も、はかない恋も、艶やかさも、とうの昔に置いてきた、という年代の方であったが、風情のある女人であった。ホント。
     ゆめにみし人のおとろへ芙蓉咲く     久保田万太郎