身びいき、または、愛国心。

W杯サッカー、アジア地区の3次予選が始まった。去年、南ア大会が終わったばかりなのに。
本大会までは長丁場。勝って、勝ってを続けなければならない。また、長い付き合いを続けなければならない。ザックジャパンが、勝って、勝ってを続けてくれればの話であるが。今日は、北朝鮮戦。
南アでの大会の時、印象に残った選手が何人かいる。華麗なドリブラー、クリスチアーノ・ロナウドもそうだが、無回転シュートの本田圭佑、それまでの控えから、正ゴールキーパーの座を掴んだ川島永嗣、ペナルティーキックを外した駒野友一も記憶に残る。チョン・テセも印象深い。国歌斉唱の時、涙ボロボロの北朝鮮の熱い選手。
チョン・テセ、もちろん、今日も出てきた。久しぶりに見るチョン・テセ、北朝鮮の不動のエース・ストライカーとなっている。今日も、ゲーム前の国歌斉唱の時のチョン・テセ、涙ぐんでいた。日本で生まれ、日本で育ったチョン・テセ、北朝鮮の状況がいかなるものか、知らないわけではないだろうが、純なる愛国者である、とは言える。このようなゲームの時にしか見ないが、私、チョン・テセのファンである。
本田圭佑と、私の好きな長友佑都をケガで欠く日本、地力では優るものの、なかなかゴールを奪えない。ボール支配率も高く、シュートも多く打つ。しかし、ゴールは遠い。ずいぶんゴールポストに嫌われた。
ホームでの試合なのに、引き分けか、と思った。後半ロスタイムに入っても、0−0なんだから。時間切れギリギリ、吉田麻也が頭で決めた。テストマッチしか見ない私、吉田麻也の名も、初めて聞く名。ディフェンダーの選手だった。吉田の名、憶えた。
まあ、ホッとした。その後映ったチョン・テセは、悔しさ溢れる顔つきであったが。本当は、日本が3ゴールあげ、チョン・テセにも1ゴールをあげさせてやりたかった。そして、3−1で日本の勝ち、というゲームになればいいのに、と思っていた。しかし、ゲームというもの、そう、思い通りにはいかないものだ。
そう言えば、今日の朝刊、宝島社が、全ページ見開き、全30段広告を打っている。
朝毎読に日経、産経、全国紙5紙と日刊ゲンダイにも打ったようだ。企業広告とはいえ、書籍料金が適用されるだろう。それでも、まあ、1億前後の料金とはなろう。
宝島社は、1億前後の金を使い、何を訴えているのか。そのコピーは、これ。
”いい国つくろう、何度でも。”、というコピー一本。
背景は、第二次世界大戦での日本敗戦後、厚木に降りたつダグラス・マッカーサーのモノクロ写真。コーンパイプを咥え、タラップの上から、焼け野原となった日本の地を眺めるマッカーサーの写真だ。大震災で、町中すべてが流された東北の地と重なる。
この広告に、噛みついているヤツがいる。マッカーサーが日本を作ったのか、と。日本は、アメリカの属国なのか、と。そんな連中に言いたい。昭和史を読め、昭和という時代を考えろ、と。日本は、アメリカの属国ではない。しかし、日本が戦争に負けた後、今の日本を作ったのは、アメリカだ。そのトップとして、日本に進駐したダグラス・マッカーサーであることに違いはない。昭和史を学べ。
特に、若い人たちに言いたい。キミたちが考えていること、中国や韓国や、その他のアジアの国や、アメリカや、それらの国々に反発すること、ナショナリズム、愛国心ではないんだ、ということを。それは、偏狭なショーヴィニズム。身びいき、なんてことではない。純なる愛国心ではない。他を排することでしかない。
純なる愛国心、他を認めた上で成り立つものだ。