ゴー・フォー・ブローク。

1941年12月8日、日本は、真珠湾を奇襲した。
1日にして、日本人は、”卑怯、卑劣なジャップ”となった。アメリカでの日系人は、”敵性国民”となった。
彼ら、12万人の日系アメリカ人は、砂漠地帯の強制収容所に送りこまれる。当時、アメリカの敵性国家は、日本だけではない。ドイツもイタリアも敵性国家である。しかし、日系市民のみが、強制収容所に送られた。人種差別以外の何ものでもない。
その後、ハワイの日系兵士は、100大隊として、強制収容所に送られた中からは、442連隊が編成される。日系部隊、イタリア戦線へ投入される。常に、激戦に次ぐ激戦の最前線。アメリカ史上最強の陸軍、と呼ばれる、442日系部隊である。
昨日は、日本人の心に深く残る名曲、「レフト・アローン」を作ったアメリカ人のことを書いた。今日は、アメリカ人の心に、勇猛さと自尊心を甦らせた日系人のことを記す。

この映画、今、新宿K’s cinema で演っている。実写と、今は80代半ばから90代となっている、442連隊元兵士たちの証言によるドキュメンタリー。泣けた。
監督は、すずきじゅんいち。すずきは、アメリカに8年前から住んでいるが、日本人である。日系アメリカ人ではない。
しかし、アメリカに住む日本人として、「日系アメリカ人の、星条旗を背負って戦う自尊心と愛国心、その一方で、敵性国民に指定された人種差別への怒りと哀しみ、これらを描かねば、残さねば、と考えた」、と語っている。

なぜ、442連隊が、アメリカ史上最強の陸軍、と呼ばれるようになったのか。
442連隊の兵士、”Live with Honor, Die with Dignity”、名誉を持って戦い、尊厳を持って死ぬ、ということを考えている。日系部隊であるからこそ、常に最前線に投入されながら、死を恐れない戦いをする。
片腕を失いながらも生還し、戦後、アジア人として初の下院議員となり、今なお、上院民主党の重鎮のひとりである、ダニエル・イノウエは、こう語っている。
「日系部隊が、捨石、消耗品として使い捨てになることは、解かっていた。しかし、我々は、それをチャンスだと考えた。日系人の自尊心とアメリカへの愛国心を示すチャンスだと」、と。

日系部隊、”地獄の最前線に突撃せよ”、となる。当然のことながら、夥しい死傷者が出る。
劇場ロビーに貼ってあったパブ記事に、”442連隊の死傷率、314%”、とあった。31.4%、少数点が抜け落ちているのかと思った。だが、違った。314%なんだ。100%を越えている。どういうことなんだ。こういうことだ。
442連隊の兵士、死ぬか、傷を負うか、単純計算で、ひとりの兵士が、死ななくとも、3回以上の戦傷を負っている。だから、死傷者連隊戦闘団とも言われていた。アメリカ史上最強の陸軍、となるはずだ。死をものともしないのだから。
だが、なぜだ。
すべては、日系アメリカ人としての自尊心とアメリカへの愛国心、そして、人種差別への怒りと哀しみ。

劇場前には、このような予告編の映像を流す小さなスクリーンがある。

元442連隊の兵士、こう語る。
442連隊、1943年9月、イタリア、サレルノへ上陸、ローマ近郊、モンテ・カッシーノでのドイツ軍との激戦にも加わる。それを制し、ローマへの入城となる。ファシスト・イタリア、ナチス・ドイツからの解放者として。
ところが、ローマを目前にして、442日系部隊のローマ入城は、停められる。後ろから来た戦車部隊などが、442連隊を通り越してローマへ入城する。どういうことだ。通常、戦闘というのは、戦車部隊が敵を蹴散らし、その後に歩兵が続くものだろう。だが、日系部隊に限っては、歩兵が先陣を切り裂き、戦車部隊はその後に続いている。そんなバカな、と思う。
ローマ市民に歓呼の声で迎えられる、解放者としての戦勝部隊には、442日系部隊は入っていない。442日系部隊のローマ入城は、認められない。442日系部隊は、ローマを迂回し、北部の最前線への転進が命じられる。
この場面では、涙が止まらなくなった。隣りの男も、泣いていた。

86歳の今も、上院民主党の重鎮として活動する、ダニエル・イノウエだ。
イノウエ自身、イタリア戦線で右腕をふっ飛ばされ、失った。日系部隊の兵士、次々にあちこちをふっ飛ばされ、死んでいった、と語っている。
それもこれも、日系アメリカ人としての自尊心と、アメリカへの愛国心のためだ、と語る。

これは、どの戦闘の時だったか。ともかく、アメリカ軍、2万の兵力で、半年かかっても落せなかったドイツ軍との戦いを、442日系部隊が、たった2500の兵力で、しかも、わずか32分で制圧した、というもの。
442日系部隊、”バンザイ・チャージ(バンザイ突撃)”も行っている。アメリカの軍隊の常識が通用しない。死をものともしない集団なんだから。
それもこれも、日系人の名誉と尊厳のため。
テキサス大隊救出作戦、という戦闘がある。第二次世界大戦の10大戦闘のひとつ、と言われているそうだ。
ドイツ軍に包囲され孤立したテキサス大隊を救い出す、という作戦。442日系部隊に命じられる。
442日系部隊、命を顧みぬ激戦をドイツ軍との間に繰りひろげ、テキサス大隊を救い出す。救い出したテキサス大隊の兵士の数の4倍の死傷者を出して。
なぜに。
気持ちは解かるが、涙は止まらない。
442日系部隊、死傷者連隊戦闘団、と言われているそうだ。アメリカの軍人としての最高勲章である、名誉勲章を21受けている。同規模の軍隊としては、他に並ぶものがないそうだ。
彼ら日系人、自尊心、愛国心、さらに、人種差別と闘った。
戦後、時の大統領・ハリー・トルーマンは、こう言って生残った彼らを迎えた。
「諸君は、敵だけでなく、偏見とも闘い、勝ったのだ」、と言って。

生き残った、442日系部隊の元兵士は、こう語っている。
「この名誉勲章は、帰ってこれなかった仲間のものだ」、と。多くの日系アメリカ人兵士、再びアメリカに帰ることはなかった。
ところで、442日系部隊、ドイツにも転戦し、ナチス・ドイツによる、ダッハウのユダヤ人強制収容所も解放している。このことが公表されたのは、終戦から40年以上も経ってからだ。日系アメリカ人の置かれている立場、解かるような気がする。
1988年、時の大統領・ロナルド・レーガンは、国を代表し、初めて日系アメリカ人の強制収容所への収容を謝罪した。ナチス・ドイツのダッハウ強制収容所の解放を日系部隊が行ったことも合わせ、こう言ったそうだ。
「貴方がたは、ファシズムと人種差別という二つの敵と闘い、勝利した」、と。
442日系部隊、この言葉を引きだすまで、多くの命を捧げてきた。
”名誉を持って戦い、尊厳を持って死ぬ”、をモットーに。
そして、彼らの合言葉は、”ゴー・フォー・ブローク”、”当たって砕けろ”だった。