我慢するのも、もののあわれ。

週明けの市場、アジア、ヨーロッパ、そして最後に開いたニューヨーク、軒並み大幅下落。
日経平均202円安、先ほどのニューヨークダウ一時380ドル安。為替も77円台後半へと円高進む。株価下落、無職の男にはいささか困ることもあるのだが、仕方ない。まあ、どうにでもしてちょうだい、という気持ち。
そんなことより、夜のNHKの番組、面白かった。
樹木希林と尾久彰三が、骨董屋を訪ねる珍道中。まずは、日本橋の老舗・壺中居。

樹木希林の手の前にある茶碗、凄いんだ。

これだ。稀代の目利き・青山二郎が愛でていた、という茶碗。650万円。
どういうわけだか、この時、”もののあわれ”というキャプションが横に出た。”形あるものはすべて滅びるというはかなさへの共感”、という補足もつけて。青山二郎、小林秀雄と酒を飲みながらそんなことを言っていたのか。それとも、白洲正子にそのようなことを教えていたのか。
それよりも、その時、尾久彰三が言った言葉が面白い。尾久、こう言った。
「我慢するのも、もののあわれ」、と。尾久彰三らしい言葉だ。青山二郎よりも尾久彰三の言葉のほうが、より深い。
10年以上前になるが、『芸術新潮』に尾久彰三の「韓国へ骨董を買いに行く」、という記事があった。尾久彰三がまだ日本民藝館の学芸員だったころだ。サラリーマンの尾久彰三、数十万を懐に韓国へ行く。
尾久、眼は肥えている。数万程度のものを幾つか買う。ところが、或る店で、素晴らしい民画に行きあう。虎の絵だったか、鷹の絵だったか。欲しい、買いたい、手に入れたい。飛びきり高いわけではないが、懐中の数十万では及ばない。サラリーマンの尾久彰三、悩みに悩む。
それで、尾久はどうしたか。悩みに悩んだ末に、その民画をついに買う。たしか、”私は、清水の舞台から飛び降りた”、と書いていた。
尾久彰三、そこいらの金持ちの骨董好きとは違う。そういう尾久だからこそ、「我慢するのも、もののあわれ」、という言葉が吐ける。解かったような、解からないような言葉ではあるが、何となし、解かったような気がするじゃない。

で、壺中居を辞した後の尾久彰三、樹木希林を鶴岡へ連れて行く。
江戸時代、北陸から東北へかけての日本海沿岸、北前船が行きかっていた。京、大坂からさまざまな物資が運ばれた。九州の古伊万里も。

右側の女性、鶴岡の骨董屋の人。
56年前、この店に嫁に来た時には、イヤでしようがなかった、と話す。なにしろ汚いものばかりで、と。今は、好きです、と言う。

喫茶店をやっているが、好きが昂じて骨董屋もやっている、という人もいる。
その人が飾っている”くらわんか”の皿。古伊万里の染付け。割れたものだが、大切にしている。

江戸期の淀川、三十石船が京都と大坂を行き来した。
その乗客に、飯や酒などの飲食物を売っていたのが、くらわんか船。その飲食物を入れた器が、くらわんか。

これも、くらわんかの皿。
赤茶色っぽい見込みの目跡も、味がある。

「美を喰らわんか」って、株式市場なんかよりシャレている。