8月9日。

長崎原爆忌。
66年前の今日、アメリカの爆撃機・ボックスカー、長崎へ原爆・ファットマン投下。広島は、ウラン原爆。長崎は、プルトニウム原爆。プルトニウムの方が、威力は強い。
11時2分、NHK長崎からの中継画面へ向け黙祷する。

3日前、6日のNHKの番組「活かされなかった極秘情報」によれば、この日の未明にも特種情報部は、米軍の動きを掴んでいた。
広島に原爆を落としたB29が使っていた特別な電波と同じ電波が、テニアン島の米軍飛行場から発せられていることを。

長崎に原爆が落とされる5時間前に。

情報を上げたが、参謀本部の反応はなかった。極秘情報、活かされなかった。あとの祭となった。
ソ連が、日ソ中立条約を破り、満洲へ攻めこんできたのも、この日。それにしても、日本の中枢、原爆のことは重々解かっていたのに、それに対する反応はしなかった。
6日のNHKの番組の中で、今はおじいさんとなっている、戦闘機・紫電改の元パイロット、こう語る。
「どうして、出撃命令を出してくれなかったのか」、と。そして、こう続ける。
「B29は、高度1万メートルを飛んでくる。1万メートルなら、紫電改、十分戦える。容易いものではないが、十分撃ち落とすことができた。それなのに、何故」、と。
そうかも知れない。しかし、長崎へ原爆が落とされたのも、第一目標の小倉の気象条件が悪かったから。アメリカが原爆の投下目標としていた都市、小倉や長崎ばかりじゃなく、幾つもある。新潟や横浜、一時は、京都までもが目標に入っていた。
何よりも、時間の問題であるにも関わらず、日本の中枢、決断することができなかった。
だから、広島のみならず長崎にも。

被曝マリア像。
眼が潰れ、焼け焦げたマリア像、浦上天主堂の瓦礫の中から掘り出された。