草間彌生(続きの続き)。

4日前の、NHKによる草間彌生の3時間に及ぶ特番、続ける。
マドリッド、パリ、ロンドン、ニューヨーク、と1年余をかけ、世界の主要な美術館を巡回する草間彌生の展覧会、4か月余に渉るマドリッドでの展覧が続いている。
初っ端のマドリッド、国立ソフィア王妃芸術センターのキュレーター、こう語っている。

レイナ・ソフィアのキュレーター、草間彌生のすべてを、あらゆる草間を、さまざまな時代の草間を見せる、と語る。
彼女の後ろに映っているのは、ニューヨークに渡った後、60年代初めから手がけたソフトスカルプチュア。

向うではこう報じられ、評判を呼んでいるそうだ。
しかし、スペインの新聞、”世界の草間”に対し、少し敬意が足りないのじゃないか。煽ればいいってものじゃない。煽らずとも、”世界の草間”だ。

しかし、キュレーターが言う通り、展示は充実している。
レイナ・ソフィアには、ピカソの『ゲルニカ』がある。その上の階を草間の展示にあてている。
これは、『残夢』、1949年の作。岩彩だ。
1929年、松本の裕福な家で生まれた草間彌生、京都で日本画を学んでいる。だから、これも岩彩。

1955年の作、『えら』。墨とグワッシュ。松本時代の作品だ。
2004年から2005年にかけ、「永遠の現在」と名づけられた草間彌生の回顧展が開かれた。東京、京都、広島、熊本、そして、草間の郷里・松本、と1年余に渉り全国を巡回した。東京では、国立近代美術館で催された。
その時の図録は、草間彌生の軌跡を知る上では、とても充実したものである。そこに、渡米前、松本時代の草間について、こういう記述がある。
<・・・・・また作品制作数が非常に多く、1日に50〜100枚を仕上げることもあり、1957年の渡米までには数千点に及んだという>、との。
ところが、草間彌生の才能を早くから認めていた詩人で評論家の瀧口修造は、こう書いている。
<・・・・・、渡米にあたって、あなたは最初の個展のために手持ちの作品が足りないと、たまたま私の部屋に飾ってあった二点を借りてゆきたいという。いつも未発表の作品が堆く積んであったのにと不審に思ったが、すべて焼却してしまったと聞いて唖然としたことを想い出す。・・・・・>、と。
草間彌生著『マンハッタン自殺未遂常習犯』(昭和59年、角川書店刊)の巻末、瀧口修造の「妖精よ永遠に」に記されている一節である。
実は、草間彌生、絵描きであり、彫刻家であり、ありとあらゆる創作家であるが、詩人であり、小説家でもある。多くの小説を上梓している。上記の書も、そのひとつ。
何と言ったらいいだろう、という小説だ。先日の芥川賞の選考で、「みなレベルが低い」、と斬って捨てていた山田詠美あたりじゃないと、まともには理解できないものである。
それはともかく、描いた数千点の作品、草間彌生は、渡米の前に焼き捨てている。だから、瀧口修造に二点借りている。何ということをしたんだ草間彌生は、と思わざるを得ない。
だから、今残っている渡米前の初期作品は、とても貴重。これも、そのひとつ。どうも、デカルコマニーも応用しているようだ。

渡米後、1959年のネットペインティング。
「インフィニティー・ネット(永遠の網)」だ。どこまでも増殖していく網。モノクロームのドット、ニューヨークのアーティスト、みな驚いた。草間彌生、”世界の草間”となっていく。

もちろん、今回の世界巡回展、水玉も大きな目玉。
ソフトスカルプチュアも、マカロニアートも、ミラーも、光も。

レイナ・ソフィアの人だったか、テート・モダンの人だったか、このキュレーターも、光の作品を是非に、と言っている。

これは、以前の光の作品の草間のメモ。
天井から多くの電気をあてる作品。暫らく前の横浜トリエンナーレで、私も見た。