魁皇、ついに引退。

通算勝ち星1047を挙げた時、”もうこれで”、と思ったのではないか。
大横綱・千代の富士の記録を抜いた。立場は違うが、今後も長く破られることはないであろう記録だ。気力が、フッと抜けて不思議ではない。
魁皇、若貴兄弟、曙と同期入門。この楽日には、39歳となる。ずいぶん長く相撲を取ってきた。中学を出た後、23年余も。
しかし、今場所の魁皇、もはや相撲の取れる身体ではなかった。
初日、魁皇の8勝は10勝に勝る、と書いた。しかし、8勝7敗を保つことも難しい状況ではあった。せめて、稀勢の里、琴奨菊、豪栄道あたりが大関になるまで頑張ってもらいたい、と思っていたが、それは叶わなかった。日本人大関、いなくなった。
何が何でも日本人大関を、とは思わない。とは言っても、やはり、なにがしかの寂しさはある。
このこと、魁皇の問題というより、もたもたしている稀勢や奨菊、豪栄道の問題だが。
それにしても、魁皇、ここ何年かの魁皇への声援は凄かった。もとより人気力士ではある。しかし、ピークを過ぎ、9勝6敗、8勝7敗という星しか挙げられなくなってからは、その人気、ますます高くなった。中高年の星となった。
だが、私は、魁皇よ、大関の美学を示せ、引き際の美学を示せ、引退しろ、と思っていた。8勝7敗の大関でよい、との考えに至るまでは。
魁皇、幕内優勝5度もしている。綱取りのチャンスもあった。今一歩で叶わなかったこともある。その体形からみて、綱を巻いた姿美しかろう、と思った。
しかし、それを逃した後は、九六・クンロク大関となった。そこに自らの存在を見出した。日本相撲協会もファンも、それを許した。そこに魁皇の存在感がある、と。
角番も13回を数える。だが、一度も陥落しなかった。もちろん、人情相撲も多くある。八百長ではない。相撲本来が持つ、人情相撲だ。これが相撲、という。
魁皇の引退、引き際の美学とは、ほど遠い。
しかし、通算勝ち星1047ばかりじゃなく、幕内優勝5回、幕内在位107場所、大関在位65場所。いずれをとっても、凄い数字ばかり。優勝回数を除けば、今後、この記録を破る力士は、いつ出るか、という数字ばかりである。
魁皇、やはり、名大関であった。
立行司・式守伊之助が裁く、千秋楽結び前の一番。その勝ち名乗りを借りれば、こうなる。
「おーぜきにかのー かいおうー」、と。
原田芳雄が死んだ。
高速道路を疾駆する高級車ではなく、旧街道を走るヴィンテージカーのような、味のある役者であった。
71歳、少し早い。