マルセル・デュシャンと日本美術(続き)。

今回は後ろに「日本美術」と何だか余計なものがついているが、マルセル・デュシャンのまとまった展覧会自体少ない。
1981年、セゾン美術館の姉妹館である高輪美術館が軽井沢へ移転した。その移転記念の展覧会が「マルセル・デュシャン展」であった。どういうワケであるのか忘れたが、中軽井沢のデュシャン展を見に行った。何らかの都合で行ったのかもしれない。
2004年、


実は昨日、上のように打ったら、突然PCが動かなくなった。固まってしまいまったく作動しない。ネットにもつながらない。だから、メールもできない。何度か試みたが、止めた。原因は分からない。
今日、ひとつヒョッとしてと思いついたことがある。つい先日、古くなった電話機を新しものに変えた。ついでにカミさんが孫のGPS電話も申しこんだ。その時ソフトバンクから「エアー」というものをすすめられ、それにした。今までPCにつながっていたBBユニットやONUという弁当箱のようなものがいらなくなる。おそらく、それに問題があるに違いない。
まあ、細かいことはどうあれ、今日、ネットが回復した。
デュシャン展の模様、記していく。昨日の続き、「2004年、」から・・・


2004年、大阪の国立国際美術館がそれまでの万博跡地から、大阪のど真ん中・中之島に新築移転された。その移転記念展が、「マルセル・デュシャンと20世紀美術」であった。私は、翌2005年初め横浜美術館へ周ってきた同展を見た。
その後、2010年9月4日から6日にかけて3日間に亘り、私は「流山子雑録」でこのふたつの展覧会がらみで、デュシャンと「大ガラス」のことごとを記した。
2011年末から翌年2月にかけ、千葉市美術館で「瀧口修造とマルセル・デュシャン」が催された。瀧口修造+マルセル・デュシャンという意味合いのユニークな展覧会であった。瀧口修造のデュシャンへの思い、といった。
今回の東博での「マルセル・デュシャンと日本美術」展も面白かった。

この秋の東博正門前。

音声ガイドはスマホに取りこむ大喜利なるもの。
私には、何じゃこれってものであった。

会場内、日本語と英語による説明はある。しかし、中国語と韓国語による説明は少ない。中国人や韓国人は多く訪れているのに。そこでこの展覧会では中国語と韓国語の説明書を用意していtる。どうぞ、ご自由に、と。こういう試みに行きあったのは初めてだ。

会場に入る。

人と作品か。

進んで行く。
この展覧会へ行かなかった人もご一緒に。




この右側の作品・・・

セザンヌかと思った。
マルセル・デュシャン、若い頃にはこういう絵を描いていたんだ。

これぞ、デュシャンの存在が世界基準となった作品。

これである。
≪階段を降りる裸体 No.2≫、世界的超有名作品のひとつとなった。

この右と左の作品を・・・

右端の作品は・・・

こういうもの。

左端の作品は・・・

こういうもの。

右側の作品・・・

これ。

こういうもの。

デュシャン3兄弟。
すべてアーティスト。

このような。
明日以降、続ける。