太郎を作った女。

しまった、と気がついた時には、もう番組は始まっていた。ニュースをあまり見なくなってから、見ようと思っている番組も、つい見逃してしまう。
終わりの場面だが、NHKのこういう番組。

瀬戸内寂聴が、岡本太郎と敏子のことを語る。
5月の初めに、「太郎100歳」を書いた。青山の旧アトリエに行った折り。その時、岡本敏子のこと、凄い人、として触れた。「ガラのダリ」以上に。
「ガラのダリ」、また、「ダリのガラ」、いずれも言われている。しかし、そのいずれにしろ、ダリは、ガラを崇めていた。ガラの絵を多く描き、ガラの足許に伏せっている感じ。
しかし、敏子の場合は、そうではない。恋人であり、実質上の妻であり、母でもあったが、岡本太郎という絵描きを作った女、というのが最も当たっている。

敏子の書いた小説や日記、太郎からの手紙などが、多く出てきたそうだ。

敏子の日記、相当な期間に渉るもののようだ。こういうことが書かれている。

こういうことも。
岡本太郎、パリにいた頃から、女性にはマメ。そこそこモテてもいたようだ。それは、敏子と知り合った後も同じこと。誰とも、結婚はしない、と決めている男なんだから。何しろ、育った環境が、凄すぎる。
妻妾同居、ということは、以前は、まま聞いた。しかし、岡本太郎の家は、逆妻妾同居。つまり、母親・かな子の愛人が同居していた、という。岡本一平という男、よほどできていた男だったのだろう。それこそ、「かな子の一平」、という家庭だったようだ。
そういうこともあってか、岡本太郎、結婚はしない男に決めたのだろう。恋人は、幾らもつくるが。そういう男に惚れちゃったんだから、仕方ない。敏子さん、頑張らなくっちゃ。ヤキモチを焼くヒマなんてないよ。

瀬戸内寂聴、敏子の日記や、太郎からの手紙などを読み、「究極の愛ですよ」、なんて言う。

敏子、岡本太郎の恋人であり、秘書であるが、シャカリキになる。
岡本太郎の共作者ともなる。

岡本太郎、多くの書を世に問うている。ほとんどは、口述筆記。敏子が書きとめ、どうも、手を入れている。
太郎命だ。

光り輝く太郎を作る。太郎も、そうなっていく。

太郎と敏子の住居兼アトリエで、長年お手伝いさんをしていたこの人、こう語る。
どういうことかと言えば、昭和36年、今日の画面で、二人のことを語っている瀬戸内寂聴が、この青山のアトリエに訪ねて来るんだ。『かの子撩乱』を書くための取材で。
その頃の瀬戸内寂聴、まだ得度をする前で、名は、瀬戸内晴美。年は、40前後。実は、恋多き女としても知られていた。
だから、お手伝いさんの目から見ても、こうだったのだろう、敏子の心中は。瀬戸内晴美、何度も何度も訪ねてきた、という。

今、記念館の展示室となっているアトリエの客間で、ややハスに座り話す瀬戸内寂聴、その当時の瀬戸内晴美、色っぽい、と言えば、色っぽい。
坊主頭の今と異なり、黒髪で、着物姿。その遥か後、文化勲章を受ける尼さんも、50年ほど前には、多くの男を悩ますこういう女だったんだ。

敏子さんは、どうするか。
岡本太郎の文章に関わるばかりじゃなく、何と、太郎の絵にまで関わって行く。

そこは、こうしたほうがいい、と。また、こういう感じに、と。
太郎と敏子の物語、面白い。が、写真も多くなったし、今日はここまでとする。明日、続ける。