太郎を作った女(続き)。

しかし、岡本太郎、その身体に変調をきたすようになる。

太郎、敏子を養女とする。妻ではなく。

太郎、徐々に、手や足の震えが酷くなる。パーキンソン病であった。
敏子、日記に、太郎の言葉をこのように書いている。

続いて、こうも。
絵筆を持つことも、色を塗ることも、だんだん難しくなっていく。

このような岡本太郎の姿、誰しもが思いもしなかった姿。
目玉をひん剥き、両腕を広げ、「芸術は、爆発だ、爆発だ、爆発だ!」、と連呼するのが、岡本太郎だったのだから。

敏子、こう記す。太郎は、私が、守る、と。

だが、平成8年、ついに、太郎、死す。
このアトリエ、今も、このまま。

ここからだ。敏子さんの新たな戦いが始まる。
岡本太郎の名を、作品を、より更に、世に残すための戦いを。また、恋人に戻り。

青山のアトリエを改装し、記念館とする。川崎には、太郎の美術館もできる。この写真は、長く所在不明であったデカい壁画・「明日の神話」を見つけだし、メキシコで対面した時のもの。

太郎が死した後も、敏子、シャカリキに駆け抜けた。太郎命で。

そして、太郎の死から9年後、敏子、死す。
敏子、岡本太郎の恋人となり、娘となり、ついには、母となった。岡本かの子に。