三島を観る(5) 『黒蜥蜴』。


『黒蜥蜴』、元々は、江戸川乱歩の作。名探偵・明智小五郎と怪盗・黒蜥蜴との知恵比べ、怪奇ロマンだ。

それを三島由紀夫が戯曲化した。怪奇というより、耽美的で妖艶なものにと。
初演は、1962年。緑川夫人、実は怪盗・黒蜥蜴を水谷八重子(もちろん、美しい初代)、名探偵・明智小五郎は、文学座の貴公子・芥川比呂志。凄い顔合わせだ。
千秋楽には、三島自身もチョイ役で出ている。1962年3月30日付のドナルド・キーン宛ての手紙に、こういうことを書いている。
<「黒蜥蜴」も無事千秋楽を迎へ、千秋楽には第一幕のボオイの役をやりました。セリフは、「お呼びでございましたか」と「はい畏まりました」の二つきりで、何といふバカなセリフを書く作者だろうと軽蔑しました>、なんてことを。
また、7月29日には、こうも書き送っている。
<「黒蜥蜴」は妙に不吉な芝居で、あのあと芥川君がすぐ膿胸で入院し、先月は又水谷八重子さんが子宮癌で手術をしました。当分二人の舞台は見られぬわけで、あの顔合せが、妙に花々しかったのはその予兆であったかと思ひます>、とも。
上記、『三島由紀夫未発表書簡 ドナルド・キーン氏宛の97通』(1998年、中央公論社刊)より引いた。そう言えば、ドナルド・キーンの帰化、まだ手続きに時間がかかっているのかな。
それはともあれ・・・・・

初代水谷八重子と芥川比呂志の取り合わせも凄いが、『黒蜥蜴』と言えば、丸山(美輪)明宏の黒蜥蜴。黒蜥蜴、丸山(美輪)明宏に限る。
相手方、明智小五郎役は、誰でもいい。醜男では困るが、二枚目なら相手を問わない。誰でもいい。丸山(美輪)の黒蜥蜴であることが、必須。その証拠に、舞台での丸山(美輪)の『黒蜥蜴』、明智小五郎役はさまざまな男が務めている。
映画では、1962年に、京マチ子と大木実で作られ、1968年に丸山(美輪)明宏の映画『黒蜥蜴』が作られた。明智小五郎役は、知的な二枚目・木村功。木村功、好きな役者であったが、やはり、少し物足りなかった。
何と言っても、黒蜥蜴役の丸山(美輪)明宏の存在感が圧倒するのだ。いや、少し言葉が違う。存在感には違いないが、美しさなんだ。艶やか、妖艶な丸山(美輪)明宏の美しさ、それに圧倒される。

美輪明宏になる前の丸山明宏、神武以来の美少年、と言われた。確かに美形であった。三島由紀夫が参ってしまうのも不思議はない。
実は、美少年、そして、美青年・丸山明宏にイカレていたのは、三島由紀夫ばかりじゃない。多くの物書きや絵描きその他が、丸山明宏に参っていた。寺山修司や大江健三郎までもが。それほどに、丸山明宏の美貌は際立っていた。
忘れちゃいけないので、映画『黒蜥蜴』に戻る。
監督は、深作欣二。これでもか、と言うくらいに妖しげな画面を創っている。
出だし、何人もの半裸の女が踊る怪しげなクラブ、その壁面には、ビアズリーの『サロメ』の絵。ビアズリーが描いたオスカー・ワイルドの『サロメ』の挿画。ビアズリーの絵が、何度も繰り返し現れる。いかにも、だ。
そこへ、黒いドレス、細身で長いパイプを手にした、丸山(美輪)明宏扮する緑川夫人、実は黒蜥蜴が登場する。
この映画が作られた時、1935年生まれの丸山(美輪)明宏、33歳。既に美少年でもなければ、美青年の時期も過ぎている。しかし、ゾクッとするほどの美しさ。妖しい美しさを湛えている。

『黒蜥蜴』のお話自体は、よく知られていること。今さら言うほどのことはない。ただひとつ。
黒蜥蜴、美術館を持っている。そこには、盗んだ宝石などと共に、生き人形が飾られている。生き人形、美男、美女の剥製である。
そのひとつに三島由紀夫が扮している。
黒蜥蜴の丸山(美輪)明宏が、生き人形の三島由紀夫に、接吻する場面がある。三島由紀夫、至福の時であったであろう。