11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち。

多くの客を呼ぶことができる映画は、シネコンでやっている。そうじゃない映画はどこでやっているのか。こりゃ客が入らないよという映画や、シネコンで掛かったがいい映画なので今一度、というような映画。
つい先日、2月、柏に”TKPシアター柏 supported by KINEJUN”という映画館ができた。そのような映画を上映する。100席ばかりのスクリーンが3面。館名の後ろに”KINEJUN・キネマ旬報のサポート”と付いているように、キネ旬が後押ししている。
今月は、若松孝二の遺作『千年の愉楽』の封切りに合わせ、若松孝二の近年の作品を上映している。

昨年の作品『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』。
1960年(昭和35年)10月12日、日比谷公会堂での右翼少年・山口二矢による、社会党委員長・浅沼稲次郎刺殺の場面から始まる。
1960年代、日本は政治の季節であった。右も左も。
三島由紀夫、私的な民兵組織・「楯の会」を作る。自衛隊の国軍化を計り、憲法改正を成すために。
東大・安田講堂での攻防。10.21新宿騒乱。金嬉老が寸又峡で起こした事件には、三島たち「先を越された」と言っている。それよりも何よりも、1969年10月12日の新宿騒乱である。
新宿騒乱、警視庁の機動隊で抑えてしまった。自衛隊の出る幕はなくなった。三島由紀夫と「楯の会」の学生連中、焦る。

1970年11月25日、楯の会隊長・三島由紀夫と楯の会学生長・森田必勝他3名、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ乗りこむ。総監を縛りあげ、バルコニーでクーデターを、決起せよとの檄をとばす。
何故に三島が。
若松孝二の答えは、どうもこう。森田必勝はじめ学生たちに突きあげられた故、ということ。
そうかも知れない。そうではあろうが、三島由紀夫は”如何に死ぬべきか”を考えていた。その死は、刀、日本刀をもって為されなければならない、と。
そのようになった。
腹を搔っ捌いた三島由紀夫の首を、森田必勝が介錯、切り落とす。三島自慢の”関の孫六”で。
三島、希求の死であろう。、

このような貼り紙があった。

三島由紀夫を演じた井浦新ばかりじゃなく、楯の会学生長・森田必勝に扮した満島真之介、楯の会員・倉持清役の大西信満の舞台挨拶と、客とのトークがあった。
井浦新は、知っている。
東博東洋館リニューアルのイメージキャラクターであり、現在開催中の「円空」展のオーディオガイドのナレーターとして東博に寄り添っているので。後の二人は知らなかった。
その後、サインを、という時間になった。
TKPシアター柏、キネ旬発行の書を売る小さな書店も併設している。そこで若松孝二がらみの本を買った人には、3人の役者がサインをして握手をする。
驚いた。長蛇の列であった。若い女性ばかり。映写された会場は、おそらく100席ちょっと。その半分以上の人が何らかの書を買って並んでいた。若い女性ばかり。3人の役者の内の誰かのファンなんであろう。トークタイムの時には、「三島由紀夫の本は、読んだことがないんですが、・・・・・」、と言っていた若い女性。
ま、それもよかろう。