岡本太郎 100歳。

暫く前、青山に用があり、ついでに、すぐ近くの岡本太郎記念館へ寄った。
そこに、岡本太郎のアトリエを改装した美術館があることは知っていたが、行ったことはなかった。根津美術館へ行くことはあっても、同じ町内にある岡本太郎記念館には行かなかった。寄ってみようかな、という気にはならなかったのだ。
絵描きであるが、物書きでもあった。さまざまな言葉を残した。
私が憶えている最も古い岡本太郎の言葉は、こういうもの。
「ピカソは、大天才である。しかし、ピカソを超えた絵描きが3人いる。ひとりは、フォートリエ。ひとりは、デュビュッフェ。そしてあとひとりは、岡本太郎だ」、というもの。50年以上前のもの、おそらく、「美術手帳」か「芸術新潮」で読んだ記事だと思う。
ジャン・アトランが好きだった私は、ピカソを超えたのは、アトランだろう、と思ったが、まだ10代だった私、生意気にも、岡本太郎は可愛いな、と思った。
それ以前も、それ以後も、よく知られた絵描きであった。しかし、少なくとも絵に興味がある男にとって、オレは岡本太郎が好きだ、とは言い難い男だった。その頃の流行歌手に譬えれば、オレは三橋美智也や三波春夫が好きだ、というようなもの。何やら、恥ずかしい。そういう存在だった。
私の中では、そういう状態が、ずっと続いている。
その岡本太郎、100歳になった。

100歳になったということで、さまざまなお祭りが行なわれている。
国立近代美術館では、「生誕100年 岡本太郎展 何だこれは!」が。川崎の岡本太郎美術館では、「生誕100年 人間・岡本太郎展」が。「芸術新潮」はじめ幾つかの雑誌では、岡本太郎の特集が組まれている。河出書房新社からは、『岡本太郎爆発大全』も出るようだ。重たそうな本だ。
近代美術館には、行かなかった。岡本太郎の絵、どうも、金太郎飴のようでな、と思い。川崎の美術館(といっても向ケ丘岡遊園なので少し遠いが)には、いろいろな人と岡本のからみ、ということなので、その内行こうかな、と思っている。雑誌の特集は、幾つか読んだ。河出の本は、買わない。私の家、本の置き場がなくなったし、高価なものは買えなくなったし、というワケで。
それはともかく、暇つぶしのつもりで寄った青山の岡本太郎のアトリエ、行ってみると面白かった。

入ると、目の前にこの写真がある。吹き抜けの2階のところに。
チケット売り場でこう言われた。「写真はどうぞ。撮ってもかまいません」、と。聞きもしないのに。で、何枚も撮った。

すぐ右手の部屋。早速ご本人が迎えてくれる。時々、衣装を変えているそうだ。

この部屋、応接室として使っていたらしい。窓の外に、庭が見える。

大きな手の上には、岡本太郎と岡本敏子の写真がある。
この敏子さんこそ、凄い人。
戸籍上は、岡本太郎の養女であるが、岡本太郎の妻であり、母であり、子供であった人。岡本太郎を作った人だ。ダリに於けるガラに引けを取らない。いや、それ以上。
敏子さん、岡本かの子命の女だったようだ。
岡本太郎といえば、岡本かの子。だが、眠くなった。今日は、これまでとする。
しかし、その隣りの画室の写真だけ載せておく。

岡本太郎のアトリエの右側。

これは、その左側。こちらから陽の光が入る。
2階は、書棚である。

絵の具や筆が並ぶ机の上。特注の幅広の筆が目についた。
画室の端の方には、ピアノがあった。
与謝野晶子のところから譲り受けたものだそうだ。岡本太郎は、モーツァルトからジャズまで自在に弾いていたそうだ。
洒落るにも、ほどがある。そう思うが、眠くなった。続きは、明日にする。