神様と仏さま。

漫画の神様・手塚治虫の、仏さま・ブッダ展を、東博で観た。

小さなころ何を読んでいたのか、憶えていない。『鉄腕アトム』は、いくらか読んでいた憶えはあるが、あとのマンガは浮かばない。いわゆる世界の名作とか偉人伝といった類いのものも、幾らかは読んだであろうが、よく憶えていない。
読む、ということで思い出すのは、中学へ入った後、講談本を読みだしてから。60年近く前、貸本屋というものがあり、分厚い講談本が多くあった。『真田十勇士』とか、『天保水滸伝』とか、『寛永三馬術』とか、といったもの。中でも、侠客ものが好きだった。国定忠治や、平手御酒や、幡隋院長兵衛や、次郎長や石松の物語。
いわゆる大衆小説とも異なるもの。読み物、といえば近いのかもしれない。よくは知らないが、今でもこのようなもの、形は違えあるのではないか。
高校へ入ると、ひねくれた。解かっても解からなくても、並みのヤツとは別種のものを読むようになった。解からないのを選んで手にしていた、といっていい。マンガなど読まなかった。私のバカな時期だ。
大学に入った後も、碌に読んでいない。もちろん、マンガは一切読まなかった。そういうものだと思っていた。
白土三平やつげ義春がどうこう、ということは知っていた。しかし、読むことはなかった。白土三平の『忍者武芸帳』は、大島渚の映画で観ただけだし、つげ義春の『ねじ式』は、20年ほど前、つげの『貧困旅行記』が面白かったので、その後初めて読んだ。
しかし、50年ほど前でも、洒落たヤツは、どうもマンガを読んでいたらしい。もちろん、手塚治虫のものも含め。

『ぜんぶ手塚治虫!』(2007年、朝日新聞社刊)を読んだ。文庫本ではあるが、700ページを超える大書。
手塚治虫の死に関し、こういう言葉が記されている。
四方田犬彦は、「黒澤明よりも、小林秀雄よりも長い間、重要な人物であり続けた」、と語り、関川夏央は、「戦後日本でもっとも重要な役割りを果たした人物」、と称え、吉本隆明は、「昭和の死を象徴するにたりる最大の死は手塚治虫の死にちがいない」、と指摘したそうだ。
そうか、そうだったのか、私には解からなかったな。

書中、10数人の人が、手塚治虫論を書いている。
梅原猛、山口昌男、巌谷國士などが、死と復活とか、物語から歴史へとか、終末観とか、聖痕とか、ということを。中で、開高健の書いていることが、私には一番解かりやすく、おそらく、的を射ている、と感じる。開高健、こう言っている。
「人種偏見のない世界、国境のない世界、資本の謀略のない世界、・・・・・階級のない世界、国家のない世界、・・・・・、これらさまざまな理想の言葉を彼がどれだけ率直に、簡潔に、むきだしに、誰はばかることなく、機智と哀愁と人生智をもって語っていることか」、と。

この企画展には、手塚プロから貸し出された、手塚治虫晩年の大作『ブッダ』の原画が、多く展示されている。その柔らかな描線を見ていると、開高健の語る言葉、そうだな、と思えてくる。
手塚と開高、共に大阪の生まれ、関西人だ。年代もほぼ同じ。死んだのも同じ年。こ難しい理屈をつける連中とは異なり、どこか解かりあえるところがあったのかもしれない。

漫画の神様・手塚治虫の『ブッダ』の原画と、仏さまのお姿・仏像とのコラボ。
東博にとり、これほどコストパフォーマンスのいい企画展はなかっただろう。展示されている仏さま、そのほとんどは東博の所蔵品であったから。
でも、面白かった。手塚治虫ということで、子供たちも見に来ていたし。彼ら、仏像好きにもなるだろう。