至福の時。そして、勉強も。

我が家の日常の食卓、あの”土光さんチ”のそれに、そうヒケを取るものではない。
メザシでも負けない。大根や白菜の漬物でもそう。菜っ葉の味噌汁でもそうだ。”土光さんチ”では、玄米だそうだが、拙宅では、時折り雑穀混じりの飯である。
さらに、ひと月少し前からは、もう一品加わった。チェンマイのToさんに貰った塩浸けの魚を焼いたもの。時折り、冷蔵庫から出して食べている。何しろ、一度に食べる量、小指の爪ほどもなくて十分だから、完全に”土光さんチ”を凌駕している。
しかし、時として、舌ばかりか一連の消化器が、アレッ、今日は少しいつもと違うな、と思っているだろうことがある。一昨日の夜もそうであった。
年に何度かお会いし、楽しい話を肴に酒を酌み交わす人がいる。もちろん、酒の肴は、楽しい話ばかりではない。いつも、私の舌や消化器が驚いているであろう、飛びきりの料理をご馳走になっている。もう40年近く公私共に深くお世話になった人で、仲人もお願いした。一昨日は、ご子息夫妻も加わった。
40年近くも前から知っているので、彼がまだ生れた頃からだ。明るい青年という印象だったが、いつの間にか、中年と言われる年代となった。
その顔つき、年若くして亡くなった父君に、ますます似てきた。私にとっては、このこと、なぜか嬉しいことである。
一昨日は、ハイアットリージェンシー東京の「佳香」でご馳走になった。今月・如月の献立を。会席料理は、懐石と異なり、酒を酌んでこそ美味さが増す、と言われる。それに加え、快い4人の会話が交わされれば、その美味さ、弥増す。
食前酒に、「大根酒」というものが出た。大根の香りがしたような気もしたが、私は、初めて聞く名だった。どのような酒か聞いておけばよかったが、忘れた。
箸染は、豆腐の梅酢漬け。いかにも箸染め、という感じの小粋なものだった。
1週間前、野菜ばかりのフレンチ、「ベジタリアン・ディナー」の写真を載せた。ここで、そのことを思い出した。あの大根や菜っ葉ばかりのフレンチの写真を載せたのだから、日本料理の写真も載せようか、と思った。で、次からは、写真に撮った。

御才。
もずく酢、海老芝煮、梅麩、菜の花のお浸しなどなど。

お椀。
雲丹真丈、エリンギ、うぐいす菜。

造り。
料理長の献立書きには、旬のお造りとなっている。鮪の赤身と中トロ、白身は鯛、それに、伊勢海老の姿造り。大きな大根の薄切りが添えられていた。

焼物。
鰆酒盗焼、金平、はじかみ。

温物。
白魚の柳川だった。ややハードかな、という感もあったが、旨かった。みな食べた。

強肴。
和牛ヒレと京芋の博多焼。小ぶりなヒレ肉ともったりとした京芋が、入れ子になっている。その食感、得も言えず。

酢物。
焼穴子香味酢和え。早蕨、茗荷、若芽、胡瓜が添えられている。美味い。

食事。留椀。香の物。
白いご飯に、じゃこの山椒煮が添えられていたが、じゃこの山椒煮をご飯にかけた。少し残したが、とても美味しかった。

水物。甘味。
水物は、苺、梨のシロップ煮、オレンジ。甘味は、小さな草団子。

最後に、抹茶。
志野の茶碗でいただいた。

今月、2月・如月の献立、このようなものであった。
なお、酒は、「久保田」を赤絵の徳利で、途中から「男山」となった。
美味い料理に芳醇な酒、それに加えて、快い会話。至福の時であった。”土光さんチ”に負けない、メザシと菜っ葉の味噌汁を食いつけている舌や消化器は、少しは驚いていただろうが。
帰途、本を一冊いただいた。「Kさんが、この間出したもの」、と言って。
表紙に、”布川角左衛門”という文字がある。布川角左衛門もさることながら、Kさん、私がまだ仕事をしていた頃、よく知っていた人である。同業の経営者であったが、業界団体のリーダー、知恵袋でもあった人である。私よりは年長であるが、業界の集まりではいつも会い、さまざまな教えを受けた。私ばかりでなく、普段は競合している各社の経営者が。
昨日、今日、その書に目を通した。四六判300ページ余の本である。布川角左衛門の評伝である。
私は、出版人としての布川角左衛門の名前は知っている。しかし、布川角左衛門が何を為した人か、その詳しい内実は知らない。じっくり読もうと思う。しかし、それ以上に、Kさんが膨大な資料を漁り、このような書を成したことに驚いた。
リタイアした後、世の為、人の為には、何の役にも立っていない私に較べ、引退後も、世の為に、と考え、それを実践している人がいることに。いかに、私などとは程度の違う頭を持つ人だとはいえ。
Kさん、「あとがき」にこう書いている。
<願わくは、現在も生きつづけている布川角左衛門先生の”出版のこころ”を受け継ぎ、出版の自由、出版文化を守る、新たな出版人の出現を望むこと切である>、と。
この書、評伝ではあるが、研究書でもある。読むには、いささかな勉強も必要となる。頭のクリアーな時に読み進み、その内、ご紹介しようと思っている。
至福の時の後には、勉学の時も待っている。