北泰紀行(4) ワット・チェディ・ルアン。

2500年ほど前、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)によりインドで開かれた仏教、大雑把にいえば、上座部仏教(南伝仏教)と大乗仏教(北伝仏教)に分けられる。
スリランカやビルマ、タイ、カンボジアなどに広まって行ったのが、南伝の上座部仏教であり、中国を通じて朝鮮や日本へ伝わったのが、北伝の大乗仏教だ。チベットへ伝わったチベット仏教は、独特の発展をし、やや趣きを異にする。
上座部仏教といい、大乗仏教といい、それぞれの中でも多くの宗派に分かれているので、その教義、複雑に異なっていて当然である。しかし、視覚的に見て、上座部仏教と大乗仏教との違い、仏塔にある。一般にストゥーパといわれ、タイではチェディと呼ばれている仏塔である。
日本のお寺にも、仏塔はある。中国や朝鮮にも仏塔はある。しかし、南伝の上座部仏教のお寺の仏塔は、その仏塔そのものが際だっている。コンモリとしていたり、尖っていたり、存在感がある。そういえば、日本の五重の塔や三重の塔は、仏塔の日本的審美眼による発展形だな、きっと。
仏塔・ストゥーパは、仏舎利を納めるものではあるが、元来は、仏陀の姿、仏像が現われる前、仏そのものを表わすものとして造られた。釈迦が入滅して500年ぐらい経った後、ガンダーラやインドのマトゥーラで仏像が造られる前は、仏塔・ストゥーパは、仏さまそのものを表わすものだった。
だから、お釈迦さまが初めて説法をしたインドのサールナートには、とても大きな土を固めた、ドデンとしたストゥーパがある。見上げるなんてものじゃない大きなストゥーパが。

これは、2年前のサールナートの仏塔(ストゥーパ)だが、本来の仏塔(ストゥーパ)、こういうものだ。
それはともかく、タイのお寺の仏塔、チェディも存在感がある。先の尖った仏塔(チェディ)が。
ワット・チェディ・ルアン、城壁で囲まれた旧市街にあるお寺であるが、その名、もろ”ルアン仏塔の寺”という意味である。その仏塔(チェディ)で名高いんだ。
その仏塔(チェディ)、後で出てくるが、寺域に入ると、まず御堂がある。

その御堂正面入口。

御堂の中、広い。

入口を入ってすぐのところには、このような仏さまがおわします。
金色でもない、銀色でもない、何とも不思議な色で覆われた仏さまが。

その後ろ、正面には、大きな金色の仏さま。

このお寺の僧ではなく、見学に来ていたお坊さまに、「写真を撮らせてもらってもいいでしょうか」、と声をかけた。すると、4人のお坊さま、キチンと正座して写真を撮らせてくれた。
と、その後、「このカメラでも撮ってほしい」、といってひとりのお坊さまがデジカメを差しだした。もちろん、4人並んで正座したポーズで、ハイパチリとした。どこから来たのかは聞かなかったが、チェンマイ名刹巡りのお坊さまだったのだろう。

御堂を出、歩いて行くと、後方に仏塔(チェディ)が見えてくる。

だんだんと。

このお寺の名の由来である、ルアン仏塔である。とても大きい。
ここで、チェンマイ滞在中は、連日のように博物館に通い、お寺巡りをしている、という河崎かよ子さんに、また、ご登場願おう。河崎さん、こう書いている。
<セーン・ムアン・マー王は、父であるクー・ナー王の遺骨を祀るためチェディ・ルアンの建設を始めましたが、完成前に亡くなってしまいました。息子のサム・ファン・ケーン王は、もしチェディが4km先まで見えるなら、祖父クーナー王の魂は安らかに眠れるだろうと言われ、建造を引き継ぎました。しかし、やはり完成させることはできませんでした。結局さらにそれを引き継いだティロカラート王が、1481年に86mの高さのチェディを完成させたということです>、と。
さらに続けて・・・・・
<しかし、そのチェディは、1545年の大地震でもろくも崩れ、今の高さの42mになってしまいました。42mといっても相当な高さで、以来400年余り、チェンマイでは最も高い建造物でありました>、と。
そうか、成る程、よく解かった。この仏塔(チェディ)の歴史は。
しかし、基壇の中程には、象の彫像があるな。下の方には、魚のような龍のような不思議なものもある。

仏塔(チェディ)の四面は、このようだ。
この仏塔(チェディ)、長い間、半壊状態で放置されてきたが、1992年にユネスコと日本政府の援助で修復され、今の姿になった、と河崎さんは記している。

仏塔(チェディ)の上の方には、金色の仏さまがおわします。

基壇の中程にある、復原された象の彫像。
右側に一頭だけ残っているのが、創建当時のものだそうだ。

象さん、アップにすると、こういうもの。案外、可愛い。

仏塔(チェディ)の四面下にあるこれは、何だ。
初めは魚にも見え、龍にも見え、蛇にも思えたが。河崎さんによれば、こうである。
神話の世界の想像上の動物で、ナーカーとかマカラーと呼ばれている、という。雨や水の守護神であり、極楽と地上をつなぐ虹の象徴でもあるそうだ。また、<象徴的にあちら側(彼岸)につなぐもの、御堂が浮かぶ此岸を涅槃の世界につなぐものとされます>、とも記している。
ウッ、そうか。何やら解かりにくそうだが、解かるような気もする。それより何より、その形状、とてもユニークである。

そういえば、基壇のレンガ積みも美しい。何層にも積まれたその色調。

小さな草の生えたこの面も。

その後ろには、こういう御堂もあった。

その御堂に入ると、その正面には、ここにも、あの生き仏さまがおわした。
日本のお寺とは、その建造物や仏像、ずいぶん異なるが、なかなか興味深い。面白い。