北泰紀行(3) ワット・プラ・シン。

ワット・プラ・シン(プラ・シン寺)も、大きなお寺である。城壁で囲まれた旧市街にある。
昨日記した河崎かよ子さんの『花の都・チェンマイ』には、こうある。
<この寺は、ラーンナー王国第5世パー・ユー王が、1345年に父カーム・フー王の墓としてチェディを建てたのがはじまりです。寺の名は最初、ワット・リ・チェン・プラでしたが、プラ・シン仏が来てからワット・プラ・シンに変わりました>、と。
寺域の中、多くの御堂や仏塔(チェディ)がある。

寺域に入ってすぐの御堂の正面。

堂内に入ると広い。正面に、金色の大きな仏さま。

堂内の一角にこのようなところがある。
真ん中の仏さまは、まるで生きているようだ。誰でも、そう思う。
チェンマイのお寺、こういう仏さまをよく見る。おそらく、高僧を刻んだ仏像であろう。しかし、パントマイムと間違え、触る外国人がいるに違いない。だから、「触らないで」と書いてある。

その他の仏像には、このように金箔がベタベタと貼られている。

別の一角には、このような光景があった。
若い僧の前で、中学生くらいの男女の一団が頭をたれ、祈っている。その後、ひとりずつ、僧から右の手首に白いヒモを結んでもらっている。

このように。
おそらく、”仏さまのご加護で、幸せになるように”、というものだろう。
彼らの一団が終わった後、私も拝み、右手首に白い木綿のヒモを結んでもらった。その時から半月以上になるが、今でも私の右手首には、その白い木綿のヒモは結ばれている。風呂に入るたび洗われるので、今でも真っ白である。遥かな未来のある中学生と違い、今の私は、さしたる幸運など求めないが、いささかな幸運がもたらされるかも知れない。

大きなこの仏塔(チェディ)には、修復のためであろう、竹の枠組みが組まれていた。

その下部の四面には、このような象の彫像がある。

この仏塔(チェディ)の前には、灯明を灯す台があり、若い男が蝋燭を灯し、祈っていた。

こういう仏塔(チェディ)も。金色の仏像が、嵌めこまれている。

堂内いっぱいに、涅槃仏がおわしたお堂もある。

このお堂の中は薄暗く、とても荘厳な感じがする。
その中、濃緑色の仏さま、存在感があった。

この御堂は、ライ・カム堂。
<ライ・カム堂は、プラ・シン仏のために造られたもので、ラーンナー様式の古典の標本といえるものです>、と河崎かよ子さんは書いている。
正面中央の仏さまが、このお寺の由来となった、そのプラ・シン仏である。

近寄ると、プラ・シン仏、このような仏さまだ。

御堂の中の壁面には、壁画が描かれている。さほど判然とはしないが、右手の方。

河崎さんの本には、こう記されている。
<内部の壁画は、北タイの伝統芸術の代表作として有名で、制作されたのは19世紀のはじめです。世俗的な北タイの風俗とビルマ宮廷の姿が詳細に描かれていて、興味深いものがあります>、と。
そうと知っていれば、その写真を撮ったのに。河崎さんの本を真面目に読んだのは、日本へ帰った後。この窓の周りの壁面の写真、ハッキリとはしないが、そういう雰囲気程度は解かるかな。

そういえば、ワット・プラ・シン、大きなお寺だけあって、教育機関でもあるのだろう、少年僧の姿をあちこちで見かける。
写生をしている少年僧もいた。

テーブルいっぱいに教科書らしきものを並べ、勉強している少年僧もいた。
「エライね、勉強してるんだ、お坊さんは」、と声をかけたら、ハニカンだ笑顔を返してきた。しかし、よく見ると、左耳にケイタイをあてていた。ハハ、勉学中の修行僧とはいえ、やはり、今どきの少年なんだ。

少し離れたところには、10人近くの少年僧が、パソコンを取り囲んでいた。真剣な顔つきで。おそらく、ケイタイをかけながら勉強をしていた、さっきの少年僧の前に積まれていた教科書は、このパソコン少年僧たちのものらしい。
格式ある寺、ワット・プラ・シンの少年僧、正規の授業では、”仏の道”を厳しく教えられているのであろう。だが、授業が終わった後ぐらい、ケイタイやパソコンを楽しむのもいいだろう。若いんだから、当然だ。