北泰紀行(8) 遺跡。

チェンマイは、北部タイの中心であり、バンコクに次ぐタイ第二の都市である。
お寺の多い古都であるから、観光都市でもある。外国人も多く訪れる。
日本人の河崎かよ子さんが、チェンマイの歴史やお寺のことを書いた本を出しているのだから、土地の人による、その手の本があって然るべき、と思ったら、それがある。
チェンマイの都市開発研究財団から2005年に、『まんが版 チェンマイの歴史』という小冊子が出されれいる。同財団は、1990年に大学教授や教師、一般市民有志の人たちによって設立された研究所を母体として、財団化されたものだそうだ。
”まんが版”であるのは、もともとチェンマイの子供たちに、チェンマイをよく知り、郷土愛を感じてほしい、ということで作成したものである、と編集者の言葉にある。それが、チェンマイの子供たちどころか、今では、各国語に訳されている。私が求めたのは、もちろん、日本語バージョン。
”まんが版”だといってバカにできない。よくできている。そのまんがで、オジイちゃんが子供に話すところによれば、チェンマイ事始め、こうである。
チェンマイができる前、ここには、ハリプンチャイという都があったそうだ。ハリプンチャイの町は、767〜768年頃、ワーステープという修験者によって造られ、ほら貝の形をしていた、という。その頃、この地に、仏教がもたらされたそうだ。
その後、500年余、時は飛ぶ。
1292年、北方のヨーノック国のマンラーイ王が、ハリプンチャイに攻め入り、併合する。そして、1294年、そこから少し北、ピン川の左岸、クム・カームに都を移す。これが、ラーンナー王国の始まりである。
しかし、ここは、毎年洪水が起こる地であった。そこで、その2年後、1296年、もう少し北の地に都を移す。それが、現在のチェンマイである。
河崎かよ子さんの書に、チェンマイの都市開発研究財団のまんがを補って記すと、こうなる。
そのラーンナー王国の始祖ともいえるマンラーイ王が、たった2年の間しか都としなかったクム・カーム、長い間放置されていた。が、近年になり、発掘、修復作業が続けられている。
それが、ウィアン・クム・カーム遺跡群である。チェンマイの旧市街からは、6〜7キロ南にある。

ウィアン・クム・カームの遺跡、広い範囲に点在している。東西南北、一辺6〜7キロあるそうだ。
だから、このような屋根のみがあり、周りのない電気自動車で廻る。入ってすぐには普通の家などもある。道端には、国王の写真も立っている。国旗も国王旗も。

その内、こういう遺構が現われる。
Tの話では、ピン川の氾濫により、長い間土砂に埋まっていたものを発掘したもの、という。

こういう遺構も。

黄色い布が3層に巻かれた仏塔(チェディ)があった。
ワット・イー・カーン(イー・カーン寺)の遺跡、という。

この仏塔(チェディ)は、ワット・チャンカーム(チャンカーム寺)だ。
前にある金色の仏像は、後で造られたものだろう。

この仏塔(チェディ)と遺構は、ワット・プピア(プピア寺)の跡。

ワット・タートゥカーオ(タートゥカーオ寺)の遺跡。
右の方にずんぐりとした仏塔(チェディ)があり、左方には、オレンジ色の布を巻いた大きな仏さまがある。

頭の上に、3つの冠をつけた大仏さまだ。

四角の大きな仏塔(チェディ)、ワット・チェディ・リアム。
たしか、この仏塔(チェディ)のところでだった、と記憶するのだが、Tからこういう話を聞いた。
この仏塔(チェディ)に嵌めこまれている仏像は、ビルマ風の顔立ちのもので、チェンマイがビルマの支配下にあった時に、上の方の仏像がビルマに持ち去られたそうだ。それが、近年返還された、という。記憶違いでなければだが。

仏塔の前には、大中小、3つのドラがある。
私は、もちろん、一番大きなドラを打った。ボーン、と低い音が響いた。

その横には、こういうところがある。
遺跡とはいっても、ここは現役のお寺、参拝の人が蝋燭を灯し、お祈りをするんだ。

その仏さまのお顔。
そのお顔、私の思い違いでなければ、ビルマ風の顔つきなのだろう。

ウィアン・クム・カーム遺跡群の域内、おそらく、後で造られたのあろうが、このような小さなお寺もある。
土地の人が、お参りに来ている。

この人は、家族連れで。

そうだから、域内には、こういう店もある。
この店は、仏具やお守りを売っている。
お土産屋もある。

こういう店もあった。
コーラ小ビンが10バーツ(約33円)、大ビンが15バーツ(約50円)、と書いてある。
道端では、バナナを売っている人もいたし、宝クジを売っている人もいた。

チェンマイのお寺どこでもそうだが、大きな木には、色を塗った木が多く立てかけられている。ここでも、そう。
御神木というか、お寺の木だ。トム・ポォー、というようだ。これ、視覚的に、とても面白い。

その根元には、このように仏さまがお祀りされているものもある。

電気自動車の出発・帰着点には、小さな博物館がある。
そこにあったチェンマイの古いプラン図。
左側の四角い城壁で囲まれているのが、今のチェンマイの旧市街。右に蛇行しているのが、ピン川だ。
ウィアン・クム・カームの遺跡は、この南、図面を外れた下の方にあたる。