北泰紀行(2) ワット・スアン・ドーク。

タイは、敬虔な仏教徒の多い国。ましてや、チェンマイは古い都。100を超えるお寺があるそうだ。
旧市街から少し離れたところにあるワット・スアン・ドークも、そのひとつ。大きなお寺である。
このお寺、1383年、ラーンナー王朝の第6世、クー・ナー王が、仏教の隆盛をはかるため、スコータイの高僧・スマナ・テラを招いて建立された。王が寺を建てる場所として、自分の花園(スアン・ドーク)を提供したために、この名がついた、ということだそうだ。伝承によると、スマナ・テラは、都の近くに仏舎利が埋められている場所を見つける夢を見た。仏舎利を・・・・・
なぜ、こんなことを私が知っているのか、と言えば、国立博物館で求めた、河崎かよ子著『花の都・チェンマイ』という日本語の本に書いてあるからだ。欧米の博物館や美術館ならいざ知らず、チェンマイの博物館に、日本語の本があるのには驚いた。4年前に訪れたバンコクの国立博物館にも、日本語の本はなかった。
なんでも、元小学校の先生をしていた河崎かよ子さん、何度もチェンマイに行くうちに、その歴史や魅力を少しでも知ってもらう手軽なガイドブックでもあればいいなあー、という思いで、この本を書いたそうだ。A5版60ページ余の小冊子だが、チェンマイの歴史やお寺のこと、とても参考になる。
ついでだから記せば、ラーンナー王朝の”ラーンナー”とは、”百万の田んぼ”という意味であり、地名の”チェンマイ”の”チェン”は、城壁で囲まれた都市という意味で、”マイ”は、”新しい”という意、つまり”チェンマイ”は、”新しい都市”という意味である、ということも、同書にはある。
ワット・スアン・ドーク(スアン・ドーク寺)、こういうお寺である。

左に黒っぽく見える大きな屋根が、御堂(本堂)である。
中央の金色の仏塔は、チェディと呼ばれているそうだ。中には、仏舎利が納められている、という。

御堂(本堂)の正面。

御堂(本堂)の中に入ると広い。
正面に、大きな仏像がある。でも、ビニールシートに覆われている。

ビニールシートの中、補修工事をしているようだ。

拡大すると、このようだ。足場を組んだ上で、作業員が補修作業をしている。それにしても、大きな仏さまだ。

このお寺に限らず、チェンマイのお寺、こういうものがある。
日曜日から土曜日までの仏さまが。火曜日は、涅槃仏だ。木曜日と土曜日は、坐像だ。よく見ると、日曜日から土曜日の7体ではない。中ほどに、”水曜日の夜”という仏さまがいる。これらのこと、当然ながら意味を持つものだろうが、よく解からない。河崎さんの本にも、このことは出ていない。

御堂の中から見た黄金の仏塔。

外から見た黄金の仏塔。スコータイの高僧・スマナ・テラが納めた仏舎利が入っているのだろう。

その近くには、純白の仏塔(チェディ)が立ち並ぶ一角がある。
ラーンナー王朝の歴代王族の遺骨が納められている仏塔(チェディ)である。

大きな観光バスが着いて、タイ人の団体が仏塔の方に入っていった。仏塔の立ち並ぶところに入る時は、靴を脱ぐ。これはどこでも同じだ。ここにも、タイの国旗と、黄色い国王旗が立っている。
おそらく、タイの皆さん、タイ各地からチェンマイのお寺巡りに来るのであろう。

大きな木の周りに少年僧がいたので、「あなたたち、写真を撮ってもいい?」って言うと、彼ら、木の周りに座りポーズをとってくれた。
タイの人は、みな気さくで、人あたりがいい。お坊さんも。