東風は、西風を制するか。

山下洋輔のアルバム、「エイジアン・ゲームズ」を聴いている。
アジア大会のテーマソング? そんなもの、山下洋輔が作るわけがない。ニューヨークのサウンド・プロデューサー、ビル・ラズウェルと組んだもの。ビル・ラズウェルのサンプリングした音に、山下洋輔がピアノを乗せたり、山下が弾いたピアノのトラックにラズウェルが音を重ねていったり。坂本龍一も参加している。

これは、今日のテーマとは関係がないが、暫く前のNHKBSの画面。山下洋輔と坂本龍一が、中学生にジャズを教えている番組だった。彼らふたり、今や、啓蒙家でもあるんだな。それはともかく、
ビル・ラズウェル、本職はベーシスト。このアルバム、ベースも弾いているが、シタール、コンガ、ゴング、シンバルなどなど、さまざまな音が組み合わされている。アルバムのタイトルとなっている「エイジアン・ゲームズ」ばかりでなく、「ニンジャ・ドライヴ」、「ナッピング・オン・ザ・バンブー」、という曲もあるので、”エイジアン”ではある。
しかし、”エイジアン・サウンド”というわけではない。そんなもの、山下洋輔が作るわけがない。山下洋輔にしては、異質な感じを受けるノリのいいサウンドではあるが。
音楽とはまったく異なる美術ジャンルで言えば、大竹伸朗の「スクラップブック」を思わせる。街中で拾ったラベルや、古雑誌や、包装紙などを貼りこんだり、そこに絵を描いたり、色をつけたりといった、大竹伸朗の「スクラップブック」を。
これも、山下洋輔得意の、”異種間格闘技”だ。リングは、アジア。
<バンド稼業に旅はつきもので、旅といわれれば何処へでも素っ飛んで行く。実際の話、マイルス・デヴィスだろうとジョン・コルトレーンだろうと、原則的にはこれ無しにはやって行けないわけで、だから、この稼業の人間は必然的に旅好きとなる>(『ジャズ武芸帳』1998年、晶文社刊)、と書いている。
アジアどころか、社会主義国がバッタバッタと崩壊する以前から、東欧諸国へも行っている。バンド稼業につきものだから。旅にまつわる話を多く書いている。大体が、面白い話を。
<万全の対策をたて、早朝に列車に乗った。ところが、いつまでたってもベルリンに着かない。念のために隣りのコンパートメントの乗客に聞いた。「ベルリン中央駅?」すると彼は気の毒そうな顔をして、列車の進行方向とは逆の方向を指し示すではないか>とか、
空港の検査で、<手に持っていた上着のポケットをさぐられると文庫本が出てきた。そのタイトルが「テロリストの逆襲」とかそういうものだった。それを見た途端に女性検査官の検査態度がひときわ熱心になったように見えた>、といったような。
ところが、これにはオチがつく。<これを見ていた同行マネジャーは、「その為に文庫本にはカバーというものをつけるのです、などと言っていたが、そういうものかなあ>(『ピアニストを笑うな!』1999年、晶文社刊)、とかといった。
フリージャズの巨匠・山下洋輔、文筆家でもある。文章は、1969年から書きだしたようだ。どこかで、若い頃、胸を患い、その時に字の書き方を覚えた、なんて人を食ったことを書いている。今までに上梓した書は、数多い。あのベートーヴェンとの対談もしているし。
だがしかし、山下洋輔といえば、坂田明もそうではあるが、やはり、中村誠一のテナーサックス、森山威男のドラムス、という山下洋輔トリオである。私が、新宿の「タロー」で初めて彼らを見た、聴いたのも、おそらく、このトリオ。このトリオを組むに当たって、彼らが考えていたことは、ただひとつ。
<僕達が確認し合ったのは、ただ、「思いっきり勝手にドシャメシャにやろう」ということだけだった>、と振りかえる。そうだ、山下洋輔、ドシャメシャにやる。それが、山下洋輔。
今日の私、急いでいる。
山下洋輔には悪いが、ノルウェーのオスロに移る。劉暁波の授賞式に。
NHKとテレビ朝日の画面を写した。

この人、こう言っている。
獄中の劉暁波どころか、夫人にも連絡はとれない。中国政府、夫人も、軟禁状態に置いている。

オスロには、国外へ逃れた中国の民主活動家が集まっている。”劉暁波は、我々の誇りだ”、と言って。

日本時間9時すぎから、ノーベル平和賞の授賞式は始まった。

ノーベル賞委員会の委員長・ヤーグランは、こう話す。

北京大学の教授が、こういう発言をできるということは、多少の救いではあるが。
何十年も前、毛沢東は、こう言った。「東風は、西風を制す」、と。
今、東風は西風を制しているか。とんでもない。遥か、ほど遠い。
西風、ノーベル賞委員会の委員長の言葉、はるかに大人、東の国を諭していた。