アキラビッチ・サカタコフスキー。

昨日は、今年納めの千秋楽故、相撲に触れたが、またジャズがらみの尻取りに戻る。
一昨日、ロシアへ”ろっ骨レコード”を探しに行った坂田明、最後にモスクワのクラブで、ロシアのミュージシャンとセッションを行った、と書いた。日本を代表するフリージャズのミュージシャン、と紹介されて。
その後、坂田明、こう自己紹介する。「アタシは、アキラビッチ・サカタコフスキーです」、と。

坂田明、ミジンコの研究家、として著名である。しかし、それに留まらず、多様な顔を持つ。ロシアに行けば、ロシア人になるらしい。
坂田明、広島県呉の生まれ。ガキの頃から、できがよかったそうだ。オヤジは、運送業をやっていたそうだが、大貧乏の四苦八苦。坂田の書いたものを読むと、学校は、広島大学の水産学部を出たそうだが、セコイ理由があるそうだ。<親爺がウチは金がないから大学へ行くんなら国立に行けって、浪人もダメってね>、ということで。
その伝で言えば、もし坂田明が東京で生れていたなら、東大へ入り、もし京都で生れていたら、京大に行っていたことになる。坂田明の親父の意思、大したものだ。余計なことだが、私のウチも、大貧乏の四苦八苦であったが、私の親父は、そんなことは言わなかった。国立に行けなんてことは。まあ、息子の頭の程度ぐらいは解かっていたのだろう。浪人どころか、結核療養所に永く入り、2年も遅れていたのだから、まあ、観念していたのだろう。
寄り道をしていると、また長くなるので先に進む。
坂田明といえば、”ハナモゲラ語”である。あの摩訶不思議な言葉の”ハナモゲラ語”。
この言葉のキッカケは、どうも中村誠一だという。しかし、それを実行、実践し、世に定着させたのは、坂田明である。さらに、高度馴化させたのは、タモリであるが。
坂田明、何冊もの書を上梓しているが、その最初の書は、『ジャズ西遊記』(1979年、晶文社刊)である。ポーランドやチェコスロバキアへの演奏旅行のこと(その他のことも記されているが)を書いたものである。山下洋輔トリオの一員として。
山下洋輔は、坂田明の兄貴分。表現者に対して、兄貴分とか弟分とかということは、適当ではないかもしれないが、年齢も、プロのミュージシャンとしても、山下の方が上であり、早い。だから、一応山下の弟分であろう。山下洋輔は、ジャズピアニストではあるが、文筆家でもある。とても上手い文を書く。
いつか、どこかで読んだが、若い頃病気をし、その頃、つまり、臥せっている頃、字の書き方を覚えたそうだ。上手い文を書く。
しかし、坂田明の文は、上手いとは言えない。だがしかし、随所に”ハナモゲラ語”が出てくる。
<イデモコロイテェー、サダマカイカソメェーノロカキテ、ワルシャワユケタラミナコケケズリセン、サササ、サササ、ソシスセソタ、オォイヨォイヨォイヨォー、チンタラビッチ、ニテモォドブジェ、イタソロォーイーターケャー>。このような”ハナモゲラ語”が。
なんじゃコリャ、というものだ。坂田明、こう書いている。<どうせ出鱈目だ。時々ポーランド語を入れてやると、イガーに馬鹿受けする>、と。こういう時の坂田明、こう自称している。「坂田建設中納言凶眼田吾作明太夫」、と。
才人、坂田明には困ったものだが、彼の本業はジャズミュージシャン。サックス奏者だ。You Tubeを見ると、彼のライヴスポットでの演奏が聴ける。アナーキーなドシャメシャとした音が。
そればかりではない。才人の坂田、歌声も聴かせてくれる。
今の時期なら「ホワイト・クリスマス」。坂田明ののハナモゲラ語のスキャットを聴くことができる。また、多くの歌い手が歌っている、作詞・谷川俊太郎、作曲・武満徹の名曲・「死んだ男の残したものは」も。
この曲、反戦歌である。長谷川きよしが憂いをこめて歌い、森山良子が透きとおる声で歌っている。で、坂田明、どう歌ったか。田中角栄・カクさんばりのだみ声で歌い、その後、アルトサックスを吹きエンディングに向かう。
アキラビッチ・サカタコフスキー、またの名、坂田建設中納言凶眼田吾作明太夫、本名、坂田明、にくいヤツだ。