So What。

「死刑台のエレベーター」がらみで、昨日、今日、マイルスのアルバムを聴いていた。
「もはや戦後ではない」、との文言が、経済白書に記載されたのは、1956年。しかし、日本は、まだ戦後を引きずっていた。
日本社会が、はっきりと変わるのは、1960年である。安保が成立し、岸信介が退陣、池田勇人が首相となる。日本は、政治の季節から経済の季節へ、切り替わる。60年を境に、それ以降の60年代、さまざまな分野で、それまでとは異なる価値観をもつ新しいものが、次々と入ってくる。
昨日触れた映画のヌーヴェル・ヴァーグは、フランスからだが、多くのものはアメリカからもたらされた。それまでとは、ガラッと色合いが異なるものが。ジャズの世界もそうであった。ディキシーやスウィングといった、それまでのジャズとは趣の異なるモダンジャズが、ドッと入ってきた。
火が点いたのは、1961年のアート・ブレイキーの来日だ。アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズが日本に来た。アート・ブレイキー、ガンガン、ビシバシ、ドラムスとシンバルを叩く。ファンキージャズだ。
その頃の若いヤツら、”ボクは、クラシック以外は聴かない”、というへそ曲がりか、”オレは、歌謡曲しか聴かねーよ”、というアンチャン以外、ほとんどのヤツは、アート・ブレイキーの「モーニン」や「チュニジアの夜」を聴いていた。
そういえば、昨日、平岡正明が最初に買ったマイルスのレコードは、「死刑台のエレベーター」のサントラ盤だそうだ、と書いたが、それに続き、<そのB面は、ブレイキーの「殺られる」で、それをかけたのが、高田馬場の名曲喫茶「あらえびす」だ>と書いている。
このこと、平岡正明の著『昭和ジャズ喫茶伝説』(2005年、平凡社刊)にある。ブレイキーの「殺られる」のテーマも、その頃のジャズ喫茶でよく流されていた曲。それはそれとして、平岡正明は、これを「あらえびす」でかけてもらった、と言っている。
名曲喫茶の「あらえびす」で、ダンモ(当時、イキがっていた連中は、モダンジャズのことを”ダンモ”と言っていた。平岡が、そう言っていたかどうかは、知らないが)をかけてもらったのは、オレひとりだろう、と平岡、自慢してるんだ。空手つかいのアナーキスト・平岡正明、可愛いところもある。
平岡正明の『昭和ジャズ喫茶伝説』、何でもありの平岡らしく、何でも出てくる。
地下室の秘密結社、犯罪者同盟から、平岡のアジビラ。西田佐知子から、トロツキーの演説、戸塚警察署のガリ版刷りの手配書。手配されているのは、もちろん、平岡正明その人だ。石ノ森章太郎から、前野良沢、杉田玄白の「解体新書」。その他、もろもろ。面白い。
もちろん、書名通り、東京及びその近辺のジャズ喫茶が、これでもかと出てくる。よくぞこれだけ、と思うほど。記憶力もよい。よくぞ憶えているものだ、とも思う。
それに較べりゃ、私が行っていたのはしれたものだ。主に、新宿。
二幸(今のアルタです)の裏の、「DIG」、都電通りの「木馬」。それに、早稲田の「もず」。
末広亭の近くの「ヨット」には行ったような気がするが、思い出せない。厚生年金の近くの「きーよ」には、行けなかった。トウシロー(素人のことです)だったんだ。水道橋駅近くの「スウィング」や、東京駅近くの「ママ」に行くのは、その少し後。
二幸の裏の「DIG」は、2階か3階、階段を上がっていった。その階段には、プレイヤーのモノクロ写真が貼ってあったような憶えがある。店の中は、厳粛な雰囲気。あまり話などできない。してはいけない。ただひたすら、モダンジャズを聴く。それが、通のダンモ好き。そういう時代だった。
都電通りの「木馬」にも、よく行った。他のダンモの店とは、少し違う雰囲気の店だったような気がする。平岡正明の書で知ったが、当時のオーナー、水谷良重だったそうだ。この店で、時折り見かけるイイ女がいた。ある時、もの凄くイイ男と会っていた。堅気であるとも見え、そうではないとも思えるイイ男。そういう店だった。
生演奏を聴くようになったのは、その少し後だった。
西武新宿の近くの「タロー」。山下洋輔を初めて見たのもここだった。たしか、トリオだった。たしか、テナーが中村誠一で、森山威男がドラムを叩いていたと思うが、判然としない。だが、後によく知られるようになる、山下洋輔の肘打ち奏法は、まだしていなかったような気がする。
伊勢丹近くの「ピットイン」に行くのは、その後。誰を聴いたのか、憶えていない。おそらく、日野皓正や、佐藤允彦なんかの時に、行っていたような気がする。が、これもよく憶えていない。「ピットイン」は、少し洒落た店で、値段も他の店よりやや高かったような気もする。だから、もう少し後だったかもしれない。
昨日からの続きで、今日のブログ、マイルスのことを書こうかな、と思っていた。
それで、タイトルも「So What」とした。マイルスの傑作、「カインド・オブ・ブルー」の最初の曲。
だが、平岡正明がらみで、ジャズ喫茶の話になってしまった。
眠くもなったので、マイルスのことは、明日にする。