ろっ骨レコード(続きの続き)。

「どなたか”ろっ骨レコード”についての情報をお持ちの方」、とのラジオでの呼びかけに、サンクトペテルブルグからも情報が入る。
坂田明たちNHKの取材班、サンクトペテルブルグへ行く。

ネヴァ川沿いの町、サンクトペテルブルグは、18世紀初頭、ピョートル大帝が築いた要塞から始まった町。せいぜい300年ちょっとの歴史しかないが、とても美しい町である。70年余続いたあのソ連時代にも、よくぞこの景観を保ったな、と思われるほど。ロシア人の底力を感じる町だ。

まず、ろっ骨レコードのカッティングマシーンを持っている、という人を訪ねる。坂田明、病院でレントゲン写真を撮ってもらい、それを持って行く。
これが、坂田のレントゲン写真。撮影日は、2001年1月22日。”さかた”は、ロシア語では”Cakata”、という表記になるようだ。
しかし、このレントゲン写真にカッティングすることはできなかった。マシーン、動くことは動くのだが、録音はもうできなかった。レントゲン写真をこう切って、真ん中にこうして穴をあけて、という手順のみ教えてもらう。

次に、19の時から”ろっ骨レコード”を作っていたという、元路面電車の運転手を訪ねる。”ろっ骨レコード”作りの草分けのひとりだ、というオジイさん。
そのオジイさん、こういう時代だった、と話す。

そして、こう言う。

しかし、この人、ついに逮捕される。
裁判所での判決は、国法を犯した罪で2年、西側の思想をどうこうした罪、その他を合計して、懲役5年。
アメリカのポピュラーソングを、古いレントゲン写真に、1枚1枚刻みこんで行く。それが、西側の思想を広めること、つまり、国家に対する反逆になる。5年の刑になる。1950年代のソ連、そういう時代だったんだ。
全体主義に思想弾圧は、付きもの。考えてみるに、何もソ連に限らない。
北朝鮮は言うに及ばず、経済の場では、行き過ぎた自由主義経済、私から言えば”修正資本主義”と言ってもいい中国においても、劉暁波は国家反逆罪で獄中にある。ノーベル賞授賞式への夫人の代理出席さえ認めない。戦前の日本も、同じような状況にあった。全体主義の思想弾圧とは、そのようなものだ。
今フト思ったが、国家の先進性を測るモノサシは、GDPや先端技術がどうこうでなく、思想弾圧の多寡によって測る、というのが、一番簡単で、最も確実な方法ではあるまいか。

それはともかく、このオジイさん、この刑務所に1年間ブチ込まれ、その後、シベリアへ送られる。シベリアの強制収容所で、あと4年間、強制労働につく。
何という体制、何という時代、そう思わざるを得ない。それが、今でもあるので、猶のこと。

ところが、5年の刑を終えて釈放された後、このオジイさん、また、”ろっ骨レコード”を作りだした、と言うんだ。驚いた。
刑務所と強制収容所に行っていた時期を挟み、計15年もの間、”ろっ骨レコード”を作ったそうだ。

こうも言っている。アメリカのロックやポピュラー、それほどのものだったのか。そういう時代だったんだな。命を賭けている。
ここひと月ちょっと取りあげてきた、モダンジャズがどうこうの、という石原慎太郎や、大江健三郎、中上健次、村上龍、村上春樹、平野啓一郎、深沢七郎、それに、平岡正明、マイク・モラスキー、小川隆夫、その他の人たち、ジャズもんであるならば、すべてこのオジイさんに対し、正座して最敬礼しなければならない。

このオジイさん、こうつぶやいてサンクトペテルブルグの町へ消えていく。

モスクワへ戻った坂田明、ジャズクラブでアレクセイ・コズーロフという人のバンドとジャムセッションを行う。こういうように紹介されて。
このコズーロフという人、ロシアを代表するサックス奏者だそうだ。

途中、ソロをとった坂田明、ドシャメシャに吹きまくる。アナーキーなフリー奏法で。ロシアの観客、ホントに目を丸くしていた。
ロシアも、このような時代になったんだ。