ポートレイト・イン・ジャズ(続きの続き)。

おととい僕は、たしか7〜8年前に若い人に薦められ『海辺のカフカ』を読んだのが、初村上春樹と書いた。だから『中国行きのスロウ・ボート』はその後、たしか文庫本で読んだ。
今回読みかえしてみようと思い探したのだが見つからない。それで近所の学校の図書館で読んでみた。『村上春樹全作品』という全8巻の短篇集1(1990年、講談社刊)の中に入っていた。この”全作品”とは、彼のデビューした1979年から1990年までの全作品ということだ、もちろん。
結果としては、文庫本などどこかに行ってくれてよかった。出てこなくてとてもよかった。それはハードカバーの”全作品”には、村上春樹による「自作を語る」という解説リーフレットが付いていたからだ。16ページの小さなものだが、文庫本にはこのようなものは通常付いていないし、とても役に立つし、何よりも面白い。
『中国行きのスロウ・ボート』について村上春樹が語っていることは、こういうことだ。
<この作品はまず題から始まった。僕の短篇小説の多くのものは題から始まっている。内容は決めないで、題名をまず考える。そしてファースト・シーンをとりあえず書く。そこからやっとストーリーが展開していく、そういう方式である。・・・・・大まかに言えばこの方式はけっこう僕の性格にあっているように思う。いわゆる題材やテーマといったスタティックな枠に縛られずに済むからである>というように。
そういうわけで頭に浮かんだイメージを文章で辿っていくうちに、自発的に筋が広がり、書き進んでいくうちに自分でも気がつかなかった何かが姿を見せてくるとも書いている。
アレレ、それはたぶん僕がこのブログでやっていることと同じじゃないか、少なくとも表面的には。僕もまずタイトルを決め、それについて頭に浮かんだことをパソコンに打っている。自発的に何らかのものが広がっていくし、書き進んでいくうちに自分でも気がつかなかった何かが姿をあらわす。
もちろんこのことはその方式が同じだということにすぎないのであり、そのレベルは100万倍以上違う。村上春樹は100万部以上売れる作家であり、僕は1部も売れないただの男。だから”100万倍以上”と”以上”をつけた。部数ではなく倍数に。
しかし問題は、そのようなことはどうでもよく、頭に浮かんだことを書きすすめていくうちに、自分でも気がつかなかったことが姿をあらわすのではあるが、僕の場合は、それが本筋から離れどんどん横道に入っていってしまうということであろう。
僕自身思うのだけれど、ミリオンセラー作家という人は頭に浮かんだことをきちんと整理できるばかりじゃなく、100万人以上の人たちの口にあう絶妙な味付けができる人なんだ。凡百の人間にはそんな匙加減はとても無理な話だ。
ついいつの間にか横道に入ってしまったようだ。村上春樹のタイトル先行方式で書いたという『中国行きのスロウ・ボート』に戻ろう。こう書いているんだ、村上春樹は。
<もちろん例のソニー・ロリンズの演奏で有名な「オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」からタイトルを取った。僕はこの演奏と曲が大好きだからである。それ以外にはあまり意味はない>、と。
「オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ(中国行きのスロウ・ボート)」、ジャズのスタンダード・ナンバーである。多くのミュージシャンがこの曲をカヴァーしている。聴き比べてみることにした。
そういうわけでYou Tubeを見てみると出てくる出てくる、ベニー・グッドマン、スタン・ゲッツなどのバンドはもちろんペギー・リー、ザ・プラターズ、ポール・マッカートニー、あのゲーリー・クーパーまで甘い声で歌っている。
     I'd like to get you On a slow boat to China
僕がいちばん感じが出ているなと思ったのは、サミー・デイビスJr.の「中国行きのスロウ・ボート」だった。しゃれている。

村上春樹が大好きだというソニー・ロリンズのものもイカしている。ソニー・ロリンズ・カルテットのケニー・ドリューのピアノ、パーシー・ヒースのベース、アート・ブレイキーのドラムズというものもいいが、絵はソニー・ロリンズだけで、ややゆるいテンポでソニー・ロリンズがテナーサックスを吹いているのがとてもいい。
それはたぶん、いかにもテナーという感じのバリバリとしたものではなく、ややけだるい演奏であり、いかにも甘酸っぱいラヴソングという感じが出ているからであろう。
というわけで、何が”というわけで”かは僕自身にも解からないが、村上春樹がらみのこと明日も続けてみよう。