高野・熊野・伊勢巡り(18) 中上健次資料収集室。

柄谷行人は、ものを考えることを生業としている男であるが、時折りヒョエーってことを言う。例えば、こんなことを。
「私が初めて新宮を訪れたのは、中上健次が亡くなる3日前であった。生前の中上から何度も誘われたにもかかわらず、ついに行かなかった。何となく億劫だったのだ」、と。「おい、ホントかよ」、と思う。
何故なら柄谷行人、若い中上健次の尻を押した男。後の中上健次を作り、おそらく健在ならば、ノーベル文学賞を取っていたであろう中上の才能を見抜いた男なんだから。
柄谷行人、東京では中上健次とちょくちょく会っていたであろうが、熊野の地へは行かなかったんだ。今まさに、中上健次の息の根が止まる、という寸前まで。

新宮市立図書館。

その3階に”中上健次資料収集室”がある。
1階で案内を乞う。「”中上健次資料収集室”を見せていただきたいのですが」、と。係の人が案内してくれた。

”資料収集室”入口。
中へ入ることはできる。しかし、写真撮影は、入口の外からのみ、とのことであった。

熊野大学のポスターが貼ってある衝立は、どかしてくれた。机の上にも幾つかの資料を並べてくれた。
とても親切な人であった。

中上健次の大きな写真がある。どこであったかは忘れたが、中上健次、体重は100キロ、と話していた。

『熊野誌』。
発行は、熊野地方史研究会と新宮市立図書館。
左は、中上健次特集号の第50号。右は、中上健次没後20年記念特集号。昨年末に発行されたものらしい。

中上健次の生原稿。
右の原稿のタイトルは、『一番はじめの出来事』。昭和44年(1969年)、「文藝」8月号に発表された中上健次のデビュー作。
左の生原稿のタイトルは、『大洪水』と読める。
それにしても、すさまじい文字である。編集者は大変だったろう。
それはともかく、中上健次の文学世界、着実に広がっていく。
芥川賞にノミネートされることも当たり前、という時代が続き、1976年、第74回芥川賞を、『岬』で受ける。
「秋幸」ものの嚆矢。おどろおどろしい物語。血の物語、近親相姦の物語でもある。気味が悪いが、文学作としては、頭抜けている、という感がある。
中上健次のすぐ後の芥川賞を受賞したのは、村上龍であった。『限りなく透明に近いブルー』。1976年、村上龍は、まだ武蔵美の学生であった。
その翌年、中上健次と村上龍の共著が出る。
中上健次 vs 村上龍 共著『俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、・・・』(1977年、角川書店刊)。お互い、こいつ面白いじゃないか、ということが見てとれる。
ところが、その頃、その翌年や翌々年に芥川賞を取った三田誠広や高橋三千綱については、ボロクソ。
<書く必要のない人間が、たくさん出てきているわけです。それから、書く必要のない小説がたくさん製造されているわけなんです>と記す。柄谷行人・渡部直己編『中上健次と熊野』(2000年、太田出版刊)に。
たしかに、文学としては、中上健次の文学、まったく別種、という境地を歩む。
どういうことだ。
松岡正剛の『千夜千冊』の「第755夜」は、中上健次の『枯木灘』。
その冒頭は、こう。
<山梨県の白州の農家のニ階で中上健次と長々と話をかわしたことがあった>、と書き出される。
「松岡さん、あんたは小説を書かないのか」、と中上健次はいうのである。
松岡正剛が捉える中上健次の作品、「物語の物語」である。
さらに、「しかしそれだけに、そのぶん、マルケスやクンデラや中上の「物語の物語」の実現には、ただひたすら脱帽してしまうのだ」、とも記している。松岡正剛にして、ただひたすらの脱帽。
中上健次の世界、何処へ行くか。
例えば、『熊野集』(昭和59年、講談社刊)の幾つもの作品、どういうことなんだ、これは。並みの世界から逸脱している。
また、こういうことを考える。
ここ何年か、ノーベル文学賞の季節になると、”村上春樹、今年こそ”、という番組が流れる。ハルキストなる連中が、シャンパンを用意して発表を待つ、という場面も流される。
しかし、私は、それに否やの感を持っている。
巷間言われているロンドンのブックメーカーのオッズは、確かなものか。それより、ノーベル賞の選考過程で、村上春樹の名は、はたしてあがっているのか、と。
実は、訝っている。候補になど、あがっていないのでは、と。
村上春樹の作品、ノーベル文学賞の作品としては、どう考えてもフィットしない。
中上健次ならば、ピタリなんだが、村上春樹ならば、ピタリとこない。
私は、村上春樹の作品のよい読者ではない。10年ぐらい前までは、ほとんど読まなかった。若い男に薦められ、『海辺のカフカ』を読んでから、少しクセになった。しかし、何年か前の『1Q84』はまだいいが、今年の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』など、何じゃこれってものである。単なる語呂合わせじゃないか。
とてもじゃないが、ノーベル賞候補の作品とは思えない。「文藝春秋」今月号の『ドライブ・マイ・カー』に至っては、さらにそう。ノーベル文学賞とフィットしない。
ノーベル文学賞、松岡正剛の記す「物語の物語」との親和性がいいものなんだから。だから、村上春樹の作品じゃなく、中上健次の作品こそがピタリなんだ。
それ故、中上健次の早すぎる死は、とても残念。
続き、明日とする。