ポートレイト・イン・ジャズ(続き)。

和田誠と村上春樹の合作本『ポートレイト・イン・ジャズ』には、その1に26人、その2に26人、合計52人のジャズミュージシャンが登場するのだが、いくつかの特徴に気づく。
まずだいいちに古いジャズメンが多く描かれている。デューク・エリントン、ホーギー・カーマイケルともに1899年生まれ、ルイ・アームストロング1900年生まれ、ビックス・バイダーベック1903年生まれというように。
白人の比率も高い。ベニー・グッドマン、ジェリー・マリガン、ビル・エヴァンス、ジーン・クルーパ・・・・・2割ぐらいは白人のジャズミュージシャンが占めている。
ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、アニタ・オデイ、ジューン・クリスティはまだしも、ナット・キング・コールやトニー・ベネットなどの歌手も2割ほどの比率で入っている。
そうだ、こういうものをスタイリッシュなとか、インテリジェントなとかと言うのかもしれない。もちろんそれはラディカルではなくて、ソフィスティケイトされたものということだろう。
「ジャズは革命と暴力にたいしては、腹ちがいのふたごの仲」とか「ジャズは肉体的な音楽であるばかりか肉体労働的な音楽だ」(『ジャズより他に神はなし』)と定義する平岡正明とは、その立っている場所が違うということかもしれない。
この『ポートレイト・イン・ジャズ』は、まず和田誠の絵があって、それに村上春樹が文をつけたもので、いわば歌謡曲の世界で言う”曲先”のようなもの。だからジャズメンの人選も和田誠の好みであり、村上春樹の好みでは必ずしもない。にもかかわらず村上は、そのどのようなジャズメンにたいしてもマッシヴなトーンの文をつけている。
僕は思うのだけれど、これは単にジャズを多く聴いてきたということより、ジャズを仕事としてきたからこそできることなんじゃないかと。
たとえばビリー・ホリデイについて<ひょっとしてそれは”赦し”のようなものではあるまいか>と書いている。”癒し”ではない、”赦し”と村上は言っている、詳しいことは省くが。
たとえばチャーリー・パーカーのところではこう書いている。<LP「バード・アンド・ディズ」の演奏メンバーは、不思議な寄り合い所帯である。・・・・・プロデューサーのノーマン・グランツが、ドラムのバディー・リッチを連れてきた。バード(パーカー)は仕事のないセロニアス・モンクを連れてきた。そしてその場で統一性のないクインテットが即席にでっちあげられた。・・・・・しかし最近あらためて聴きなおしてみると、不思議なもので・・・・・感心してしまう>と書いている。
もちろん僕にも、なぜ村上春樹が感心してしまうのか、その前後のいきさつを書かないとよく理解してはもらえないだろうということは解かっている。
しかし僕がここで言いたいのは、チャーリー・パーカーのことやバディー・リッチのドラミングとセロニアス・モンクのスタイルがぜんぜんあわないという事実関係のこと(少しはバラしてしまったが)ではなくて、村上春樹がいかにどのようなジャズにも対応しているかということなのだ。
僕が今考えるに、それはたぶん村上春樹が学生時代からジャズ喫茶兼バーを経営し、作家に専念するまでの7〜8年ジャズで飯を食ってきた蓄積にあるのだと思う。いずれにしろジャズで飯を食うのだもの、生半可なことでは生きていけない。レコードの数が多くなるばかりでなく、村上春樹の頭にも、ジャズの質量これでもかというほどに蓄積されたに違いない。
ビックス・バイダーベックのところには、村上春樹がまだ自前の店を開く前、水道橋の「スイング」でアルバイトをしていた時のことを書いている。1970年代始めの頃の。今日はこのことまでで打ち切ろう。
「スイング」はトラディショナル・ジャズのみでチャーリー・パーカーもバド・パウエルも駄目、ジョン・コルトレーンやエリック・ドルフィーなんてとんでもないという店。そんなわけで村上春樹、<古いジャズの楽しさを一から教えられた>と書いている。1週間ちょっと前のブログに書いたバンク・ジョンソンのことも出てくる。
村上春樹、ジャズに関しては筋金入りなんだ。
危うく忘れるところであったが、平岡正明の『日本ジャズ者伝説』にこういうことが書かれている。
<70年代初めといえば、批評戦線での激論のあと、坂を下りて俺が「スイング」にはまりこみに行った時期だ。だから作家デビュー以前の村上春樹とは、何回か顔をあわせているはずだ。その記憶はない。あちらにもないだろう。・・・・・>という個所がある。
村上春樹は平岡正明より7つか8つ下、70年代初め村上が「スイング」でアルバイトをしていた頃は、平岡は既に多くのものをあちこちに発表していた時期だ。僕は思うのだが、平岡が村上を知らなかったのは当然だが、村上が平岡を知らなかったということはないであろうと。
ただ日々ジャズを真摯に聴いていた村上春樹、ジャズについての文章を書き散らしていたヤバイ平岡正明に近づかなかった、ということではないかと考えている。ヤバイ奴だと。