洒落たギャグ、なんだろうな。

昔から、SFというものが、どうも苦手。食わず嫌いなんだ。
だから、星新一、小松左京と共に”SF御三家”、と言われている頃から、筒井康隆は読まなかった。すべてがSFではなく、面白そうなものもあるのは知ってながら。筒井康隆も才人である。プロの役者でもある。プロではなかろうが、クラリネット奏者でもある。
しかし、坂田明や山下洋輔、また、平岡正明に触れた以上、筒井康隆に触れないわけにはいかない。彼ら、ジャズがらみで、それぞれガシャガシャに繋がっている仲だから。
筒井康隆に、ジャズを扱った掌編を集めた興味深い書『ジャズ小説』(1996年、文藝春秋刊)がある。12の掌編小説、巻末にディスク情報が付録として付いている。
ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、ソニー・ロリンズ、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、ディジー・ガレスビー、スタン・ゲッツ・・・・・、歌手ならフランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、ナット・キング・コール、サラ・ヴォーン・・・・・、という具合に、ジャズの歴史、ひと通りカヴァーしている。
抜けているのは、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィーといった名前。つまり、フリージャズの分野だけ。山下洋輔や坂田明といった、フリージャズの面々とあれだけ仲がいいのに不思議だが、おそらく、筒井康隆がクラリネットを吹く、ということと関係があるのかもしれない。クラリネット、どちらかといえば、初期ジャズの楽器だものな。
『ジャズ小説』、案の定、『ニューオーリンズの賑わい』という掌編から始まる。
7年がかりで金を貯め、1916年のニューオーリンズへ”時間旅行”する夫婦の話だ。この”時間旅行”というのが、SFといえばSFなんだな。それはともかく、この夫婦、原初ディキシーランド・ジャズのファンなんだ。
伝説のバディ・ボールデンのコルネットが聞こえてくる。バンク・ジョンソン、それに、この時16歳のサッチモが出てくる。ちょうど20日前、「初期のジャズ」として、鎌田嘉浩の『ジャズ事始』を紹介したが、それと同じ状況を、筒井康隆は巧みに描いている。
『ソニー・ロリンズのように』、『ムーチョ・ムーチョ』は、いずれも女の恐さが描かれている。いや、恐さじゃなく、可愛さかもしれない。恐くって、それで可愛いのが、女なのかもしれない。そう思う掌編である。もちろん、いずれもオチがある。
『陰謀のかたち』には、笑ってしまう。
ジャズ・メッセンジャーズの名義というか主導権というか、いずれにしろ親分争いに関し、アート・ブレイキーとホレス・シルバーが、丁々発止をやっていたそうだ。それを日本の場に置きかえた話。面白い。
『チュニジアの上空にて』にも、笑える。
現実には、こんなツアーあるのかしらん、という”ジャズ・ミステリー・ツアー”のお話。飛行機をチャーターし、世界を廻っている。弁護士夫婦や歯科医、一級建築士、普通のOL三人連れなどを乗せて。案内役は名の売れたジャズ評論家。
上海の魔窟では、「スローボート・トゥ・チャイナ」がらみの誘拐劇を為している。チュニジア上空では、もちろん、アート・ブレイキーの「チュニジアの夜」が流される。だがその時、機長の「この飛行機が操縦不能になった」、との声が流れる。機内、混乱を極める。「ふざけやがって、冗談だろう」、という人もいれば、「いや、本当らしい」、という人もいる。この小説、<そして機はチュニジア上空を出はずれた。その時・・・・・>で終わる。
スラプスチック、ドタバタ喜劇といえば、そうである。でも、洒落ている、といえば洒落ているのだろう。洒落たギャグといえば、そうでもあるし。
そう言えば、この書、勉強にもなる。
7日のブログで、私は、大江健三郎の『世界の若者たち』に触れた。その時、「ひょっとしたら、アート・ブレイキーのモーニン、つまり、”モーニン・フォー・ヘイゼル”は、・・・・・」、と書いた。しかし、これは、間違いであった。
筒井康隆のディスク情報に、こうある。<聴衆の一人、女流ピアニストのヘイゼル・スコットが感きわまって「神よ!」と叫ぶ「モーニン」(この叫び声のおかげでモーニン・ウィズ・ヘイゼルとよばれている)>、と。
私は、50年近く、「モーニン」は、「モーニン・フォー・ヘイゼル」、「ヘイゼルのためのモーニン」、つまり、「ヘイゼルに捧げるモーニン」だと思っていた。だが、史実は、”フォー”ではなくて、”ウィズ”であった。”ウィズ”とは、やや即物的な感じもするが、それが現実ならば、それでいい。
それぞれの掌編、”洒落たギャグ、なんだろうな”とは思いつつも、楽しめた。