若さ。

埃にまみれ、薄汚れた本が出てきた。埃にまみれと言うより、こびりついている。
大江健三郎の本を探していた。幾つも出てくる。ある時期、と言っても、50年前後も前のことだが、3点セットと言ってもいいものがあった。石原慎太郎と、開高健と、大江健三郎の3点セット。芥川賞を取ったのは、この順番だが、年は、開高、石原、大江の順。それぞれ、2つ3つ離れている。
しかし、この3人、やはり、3点セット。謂わば、中華料理の前菜で出てくる、三品と同じようなもの。その頃、等し並みに読まれていた。その後の3人の軌跡は、3者3様の道を歩んだ。私が、いちばん長く付き合えたのは、開高健だが。だから、3人の書も、初期のものは、等し並みにある。
その中に、大江健三郎の『世界の若者たち』(新潮社、1962年刊)が、薄汚れて埋もれていた。
20代半ばの大江健三郎、60年と61年に、中国、ソ連、ヨーロッパへ、それぞれ1〜2カ月間の旅行に出ている。その旅行記と、61年に、「毎日グラフ」に連載した、「日本の若者たち」という大江のインタビューを纏めたもの。
パリには、7週間滞在している。サンジェルマンデプレの安ホテルに泊まり、映画や芝居を観に行っている。しかし、最も足を運んでいたのは、ホテルのそばの「サンジェルマンデプレ・クラブ」、というジャズクラブである。大江が通っていた頃は、フランスのミュージシャンがプレイをしていたそうだが、それ以前には、アート・ブレイキーが評判をとったクラブ、と記している。
ひょっとしたら、アート・ブレイキーの「モーニン」、つまり、”モーニン・フォー・ヘイゼル”も、このクラブでのことかもしれない。
パリは、ジャズクラブの多い街である。大分昔だが、私も、聴きに行ったことがある。シャンソンのライブハウスなんかより、ずっといい。一舞台が終わり、インターバルの間、カウンターだけのバーで立ち飲みをしていると、さっきまでペットを吹いていた黒人が、横に来てビールを飲んでいる。「パリには、いつ来たんだ」、と話しかけた。「「30年近く前」、という返事に驚いた。何日か前にパリに来て、何日か後に帰る旅行者なんかじゃないんだ。パリの住民なんだ、彼ら。
大江健三郎も、「ジャズクラブの<王様(ル・ロワ)>」、として、”王様(ル・ロワ)”と呼ばれている、ジャズクラブで踊るソルボンヌの黒人学生のことを書いている。黒人と白人、また、アジア人と白人のカップルが多いことに、若い大江は、やや驚いているような筆致であるが、おそらく、この時が、初のパリだったのだと思う。
今のサルコジは、サハラ以南のいわゆる黒人ばかりじゃなく、サハラ以北のアラブ系の人たちも含め、彼らに対し厳しい態度をとっている。だが、私の知る限り、フランスは、黒、白、黄色、入り混じっているのが、フランスなんだ。
パリでの大江健三郎、バスティーユ広場での、OAS抗議デモにも参加している。OASは、アルジェリア独立に反対していた右翼のテロ組織だ。当時、爆弾テロを繰り返していた。ジャン・ポール・サルトルも狙われていた。そのJ・P・サルトル(ボーヴォワールも、もちろん、連れていた)に、バスティーユ広場で、大江健三郎は会っている。
若い大江健三郎、こう書いている。<もし僕らがOASの人間だったとしたら、あの群衆の中で容易にサルトルに近づくことができた以上、いかなるテロ行為も可能であったろう>、と。
若い大江健三郎、その翌日、サルトルを訪ねていて、こう書いている。
<翌日会ったサルトルは、・・・・・”時代は矛盾にみちているが、・・・・・そしてそこから立ちあがろうとする若い世代が存在することは心のあたたまる思いがします。”・・・・・僕にはサルトルの観察がいくらかオプティミスティクに感じられないでもない。しかし・・・・・>、と。
大江に限らず、若い、ということは、いいものだ。
「日本の若者たち」の中には、当時、モダンジャズ・ピアニストとして売れていた、八木正生へのインタビューもある。八木正生、感覚で批評するジャズ評論家や、”日本のセロニアス・モンク”とかとレッテルを貼られてしまうこととかに、メイワクしている、と語っている。
それよりも、「日本の若者たち」の中には、島津貴子さんだとか、大関になったばかりの大鵬とか、全学連書記長の北小路敏とか、右翼、大日本生産党員の東条武三とか、当時、NYフィルの副指揮者であった小沢征爾とか、朝鮮の誇りたかき若者としての張本勲とか、テレビのスター・黒柳徹子とか、その当時の大江と同世代の若者たちとの話が出てき、また、面白い。
私は、島津貴子さんや小沢征爾には、いささかの思い入れがあるのであるが、長くなるので、それはまたとする。
出てきた大江の書の中に、『鯨の死滅する日』(文藝春秋、昭和47年刊)がある。この頃の大江のもの、買ってはいるが、ほとんど読んではいないんだ。これは小説じゃなく、エッセイなので、パラパラとしてみた。30代半ばの大江だ。
この頃の大江健三郎、インドに行ったり、アジアの国に行ったり、アメリカに行ったりしている。アメリカで翻訳書が出たり、海外でも認められてきた時期だが、30代半ばは、まだ若者といえば若者だ。この書のカヴァーに載っている大江の顔写真も、とても若い表情だ。若者はいい、との思いしきりだ。
実は、今日あたり、私は、カトマンドゥにいるはずだった。何人かの友だちと行く予定だったが、一人抜け、二人抜け、「オレは行くよ」と言っていたヤツも、来春ぐらいまで延ばしてくれ、と言ってきた。私の年代、皆、何かと事情がある。暫く何処にも行っていないので、どこかに行こうとは思うのだが、ひとりで行くのはだんだんカッタルクなってきた。面倒臭くなってきた。
時間は自由、あり余るほどある。以前と異なり、エアー・チケットの一番安い時期に行くことができる。でも、面倒になる。若い頃とは違う。若さっていいな、と改めて思う。思い知らされる。