ロック(続き)。

実は、昨日のブログ、消えてしまった。パソコンのキーを打った後、保存されず、出てこなくなった。消えた。
消えたのは、久しぶり。しかし、あちこち、どうこうしている内に、出てきた。だが、どういうわけか、打ったものの半分ぐらいのみ。なぜ、半分程度なのか、解からない。しかし、もうそこで、止めた。また、いじると、出てきた半分もなくなるような気がして。タイトルに「ロック」と打ちながら、ロックなんてどこにも出てこないところまでだが。
私のこの雑ブログ、謂わば、一期一会。その日の気分で、その時に思いついたことを、打っているにすぎない。だから、昨日消えたものと同じものとはならないが、概略憶えているものを、打っていく。シャクではあるが。そうでなければ、どこがロックだ、何がロックだ、となるので。
昨日、打ったものの中、出てきたものは、『楢山節考』だけだ。『楢山節考』にロックは出てこないもの。しかし、「楢山節」は、出てくる。深沢七郎が、作った歌だ。
     おとっちゃん 出て見ろ かれきゃしげる
     行かざあなるまい しょこしょって
     夏はいやだよ 道が悪い
     むかで長虫 やまかがし
     かやの木ぎんやん ひきずり女
     あねさんかぶりで ねずみっ子抱いた
この小説中には、深沢七郎が作曲した「楢山節」の譜面も出ている。単調なメロディーだが、哀しく、土臭い曲だ。
     ドドミーファララーラシラファーミー  ドドミファラーシドシーー
     ララドーシーラーシラファミドードーミファシーファミラーシラファミドードー  ララシードシラー
遥かな昔、短い間であったが、安物のギターを持っていた。この短く、単純な曲だけ、弾くことができた。他に何も弾くことができなかったので、ギターはその内、どこかに行ってしまった。
深沢七郎、1960年暮、中央公論に『風流夢譚』を書く。皇族の首が転がる、ということが騒がれた。普段、中央公論など読んだこともない人たちが、この号を買った。私も、そうだった。同じ、皇族や天皇制を扱ってはいても、三島由紀夫や大江健三郎とは、まったく違う。確信犯じゃない、謂わば、深沢七郎による深沢物語にすぎない。
しかし、その翌年初め、中央公論社長・嶋中鵬二宅が、右翼に襲われ、嶋中夫人は重傷、お手伝いさんが殺される。責任を感じた深沢は、1965年まで、全国あちこち放浪の旅に出る。この頃の、『流浪の手記』、『風雲旅日記』も、面白い。
深沢七郎には、”何々日記”と題するエッセイが、幾つかある。すっとぼけた深沢七郎の味が、楽しめる。、いろんな人とも会っている。自宅に訪ねて行ったりしている。凄い人たちの家に。それも、度々。
『言わなければよかったのに日記』には、正宗白鳥、石坂洋次郎、武田泰淳、伊藤整、井伏鱒二なんて、大家の家に遊びに行っていることが書かれている。当時の文壇の大家の皆さん、深沢七郎という異能の男、不思議で、捉えどころのない男との話を楽しんでいる。この書ではないが、他のところでは、おっかない小林秀雄や、深沢とは対極の若い石原慎太郎の家にも行っている。
<逗子の、旗本屋敷のような門構えの家の、日本間の広い座敷で>、若い石原慎太郎とおじさんの深沢七郎、何ともすっとぼけた話を交わしている。面白いものだ。
いかに深沢のことだとはいえ、こんなことばかり書いていると、ロックなどに行きつかなくなる。ヘタをすると、昨日のように、また、消えてしまうかもしれない。ロックに移る。
『風流夢譚』を書く前年、1959年、深沢七郎は、『東京のプリンスたち』を書く。『楢山節考』とは、まったく異なるテーマだが、やはり、深沢らしい作品だ。主人公は、エルヴィス・プレスリー命の高校生。
<シンフォニーなんて(ガシャガシャな騒音だぞ)と言いたくなった>、という高校生。<表に愚連隊らしい奴が二人立っていて、こっちを睨んでいた。・・・・・(あんな奴等は、ロックンロールの唄を聞かない下等動物だ)と思った>、という高校生。<エルヴィスの「ハウンド・ドッグ」をかけた。手も、足も、頭の中も歯ぎれのいいリズムだけになって何も考えなかった>、という高校生の物語だ。
エルヴィスの歌が、いっぱい出てくる。
「テディ・ベア」、「ロンサム・カウボーイ」、「マネ・ハネー」、「ハウンド・ドッグ」、「ざりがに」、「ハート・ブレイク・ホテル」、「のっぽのサリー」、「アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト」。この倍以上、当時のエルヴィスの曲が出てくる。
同じ時代に生きても、若い石原慎太郎や大江健三郎は、ジャズであり、はるかに年上の深沢七郎は、ロックである。同じ東京の若者を描いても、石原や大江は、ジャズ、それもモダンジャズであるのに対し、深沢の描く若者は、ロック、ロックンロール、ロカビリー命。
昭和43年、大和書房発行の全3巻『深沢七郎選集』の解説で、日沼倫太郎は、この作品について、<作者の非高等遊民としての人生認識をひそませた>、と記している。日沼の尻馬に乗るのは、シャクではあるが、たしかにそうだ。遊民ではあっても、高等ではない遊民にしか、異能は、生じないのかもしれない。
この時代、三者三様、独自の文学世界を生み出したが、そのバックグラウンドは、まったく違う。
高等教育を受けた石原と大江。深沢は、大学どころか高校にも行っていない。中学卒業後、薬屋に3カ年の約束で奉公に行ったが、1カ月半で止め、次の薬屋は、1週間で止め、日本橋のパン屋に住みこんだが、そこも1週間でやめている。その後、流転の生活に入る。このこと、深沢が、自筆の年譜に記していることである。
石原や大江は、単なる(と言っては、悪いが)秀才。それに対し、深沢は、異能、異才。それだからこそ、記憶に残るものを紡ぎ出せた。
ロック話、まだ続けるつもりだが、今日は、これまでとする。