<ナラティヴの主格と・・・・・>、なんてこと言われても、ねぇー。

昨日は突然日本中が驚くことがあったので、そのことについて触れたが、またジャズがらみのことに戻ろうと思う。
一昨日の小川隆夫と平野啓一郎の対談「TALKIN’」で、ぼくは平野啓一郎の小説は1冊も読んでいないが、そのバックグラウンドや指向するところ程度は少しは知っていると書いた。平野の対談集『ディアローグ』(講談社、2007年刊)は読んでいるからなのだ。
平野啓一郎が芥川賞を取ったすぐあとの1999年から2007年までの6〜7年の間に、彼が対談をしたものを纏めたものだが、まあ一級というか上質というかそのような人たちと話している。その中に、2006年に大江健三郎との間でもたれた「今後四十年の文学を想像する」という対談がある。
この時、大江健三郎は71歳で平野啓一郎は31歳であり、ちょうど40の年の差があるのだが、平野啓一郎は「あとがき」の中で、<この日の対談は、小説家としてデビューして以来私が経験してきたことの中で、間違いなく最も重要な出来事の一つだった>と書いている。
さらに、<私は、大江氏の言葉に、小説の言葉とはまた違った、小説家の言葉としか言いようのない強いものを感じ、手際良く問題を整理することについ気を取られがちな自分の言葉の未熟さを痛感した>とも書いている。大江も自分とまったく同じ年齢で世に出た平野に、対等であることを装いつつも多くの示唆を与えている。
話はまず、大江が『TALKIN’ジャズ×文学』が興味深かったというところから始まる。<小川隆夫氏とあなたの対談でジャズクラブでの・・・・・僕が聞いていたギル・エヴァンスやビル・エヴァンスが出て来る、懐かしい。チャーリー・パーカーのような人に新しい大切な人と思われていたマイルス・デイビスが・・・・・>というように。
ところがすぐに話はこういうような方向に切り替わる。”「他者」の導入とナラティヴの問題”とか”ナラティブの主格と作者の自分は切り離せるか?”とかという話に。”そんな難しいことばかり言われても、ねぇー”と、ぼくは思うのであるが、どうも大江は、40年後の平野啓一郎を現在の自分に重ね合わせているのだ。
しかしそういう面倒な話はここでは端折って、今のぼくは大江健三郎とジャズがらみの話をしようと思う。
平野啓一郎との話の中では<近頃は、後期のジョン・コルトレーンを聞くくらいです>と言っているが、大江健三郎のジャズ好きはよく知られている。平岡正明の『昭和ジャズ喫茶伝説』の中にも、<パド・パウエルに関する、大江健三郎の功罪がある。彼がサルトルに会いにパリに行ったとき、シャンゼリゼ大通りの「ブルーノート」クラブで、パドの演奏を聴いた。パドは突然・・・・・>ということが出てくるし、初期の小説にもジャズのことはよく出てくる。
『飼育』で芥川賞を取った翌年1959年の『上機嫌』には、<ジェリー・マリガンとチェット・ベイカーのコンボのドラムス、ラリイ・バンカーのドラムの音は初期のバップのリズムで勢いよく、与えよ、共感せよ、自制せよ、とささやきかけるのだったし、窓にあたる雨の音は平安、平安、平安と歌っていた!>という個所があり、この与えよ、共感せよ、自制せよには、ダッタ、ダーヤヅヴァム、ダムヤークというルビがふられている。ドラムズの音を譬えたのだろうとぼくは思う。
ぼくは”リリーディング”という言葉は大江健三郎が使い始めた言葉じゃないかと思っているが、文字どおり再読ということだから、おそらく古くからあった言葉であろうが、あの『セヴンティーン』もリリーディングした。
ちょうど50年前の秋だったが、日比谷公会堂の大勢の聴衆の面前で、当時社会党の委員長であった浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢をモデルとした小説であるが、このような小説の中にもただ一カ所だけではあるがマイルス・デイヴィスの名が出てくる。それにしても、あんなヤバイ小説を書くという若いもの書きは今いるのかなとも思ったが。
ところで何日か前の中上健次と村上龍の対談『ジャズと爆弾』の中でも二人は文学のことを語っており、作家の名前も多く出てくる。外国の作家ではジャン・ジュネだとかセリーヌだとかベケットなんていかにもという名が出てくるが、日本の作家で出てくるのは太宰治だとか三島由紀夫だとか井上光晴だとかという案外まともな名前が多い。
その中で中上と村上が最も多く言及していたのは大江健三郎のことだったが、平野啓一郎なんかは大江の作品はほとんどすべて読んでいるようなのだ。あのような七面倒な文章にはとてもついていけなくなり、途中からまるで読めなくなったぼくが言うのもヘンではあるが、真っ当な小説正統な小説を書こうとしている作家にとっては、どうも大江健三郎こそ乗り越えなければならない作家なのだということは解かる。
中上は死んだし今の村上龍がそういう作家であるのかどうかは知らないが、少なくとも平野啓一郎はそう思っているようだ。