ポートレイト・イン・ジャズ。

曲名だとかミュージシャンの名前だとか、ジャズがらみのことに絡んだ小説や本は多くある。多くの作家や研究者がさまざまな書物を残してくれている。
どうしてこんなわかりきったことをいうのかといえば、今までまったく触れていない人のことを考えているからだ。村上春樹という男のことなんだが。
白鵬が負けたり人に会いに出かけたりと飛び飛びではあるのだが、マイルスから始まったジャズがらみの話、石原慎太郎、大江健三郎、中上健次、村上龍、深沢七郎、それに僕自身はその小説をひとつも読んでもいない平野啓一郎のことまで書いたのに。平岡正明、ジョン・F・スウェッド、小川隆夫、鎌田善浩、マイク・モラスキーといった愛好家や研究者のことに触れたこともある。でも僕はジャズがらみなら彼のことは外せないだろうという村上春樹については触れなかった。
それはたぶん僕が村上春樹の書くものを読んでいない(W村上といわれたころも、村上龍は読んでも村上春樹は読まなかった)からなのだ。でもたしか7〜8年前若い男と話している時「村上春樹は面白いですよ」といわれ、そのころ評判だった『海辺のカフカ』を読んだ。そう、これが僕にとって初めての村上春樹だったような気がする。
それはたしかに面白い小説であったし、これが村上ワールドなのだなということも感じたし、若い人が夢中になるのも解かる気がした。その後、『中国行きのスロウ・ボート』とか『東京奇譚集』といった短編や安西水丸との「村上朝日堂もの」も読んだ。『辺境・近境』とかスコットランドやアイルランドの蒸留元にウィスキーを飲みに行く話なんかも読んだが、これは僕が紀行記が好きなためだと思う。
彼が訳して少し評判になったJ.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も読んだ。”捕まえて”という動詞的な表現じゃなくて名詞なんだなんてことを考えながらであるが。去年初めのエルサレム賞の彼の受賞講演の”高くて固い壁と卵”の時には、ウソっぽいなと思ったり彼の思いの真実はそうなんだなと思ったりしたが、それよりもこれでノーベル賞への関門のひとつは越えたなという印象のほうが強かった。
つまり僕は彼のもののいくつかは読んでいるが、長編小説は『海辺のカフカ』の他は読んでいないんだ。これから読むことがあるかもしれないが、今のところはそうなのだ。どうしてなのかと考えると、思いあたることがないでもない。僕は大まかに言えば村上春樹に対しこのようなイメージを抱いていたからだ。
それはクルーネックのセーターに白い綿パンの村上春樹であったり、スーツを着ている時はブルックス・ブラザーズのアイヴィ・スーツであったりという村上春樹が浮かぶからなのだ。僕自身そういうスタイルはあまり好きではないことによるんだな、きっと。でもよく考えてみると村上春樹ももう60を越えている。クルーネックのセーターは着ていても、アイヴィ・スーツを着ているとも思えない。
それはたぶん僕自身が彼に対する考えを変えなければならないということだと思う。ジャズがらみで彼について何らかのことを考える以上は。
このようなことを今さら僕がいうのも何であるが、村上春樹ジャズの愛好家とか研究者とか専門家とかというより、ジャズを仕事としてきた男でもある。詳しいなんてものじゃない。僕としてはけっこう悩んだ。何をとっかかりとしようかということについて。最終的に正攻法でいこうと決めた。
それが『Portrait in Jazz(ポートレイト・イン・ジャズ)』である。
和田誠がジャズメンの似顔絵を描き、それに村上春樹が文章をつけたものだ。新潮社から1997年に1が、2001年にその2が出ている。共にプロフェッショナルなふたり、ジャズの楽しさを味あわせてくれる。例えば和田誠のアート・ブレイキーの似顔絵、開けた口から見える白い歯だけで、これはアート・ブレイキーに違いないということがすぐ解かる。プロの技なんだ。言うまでもないことだが、そのポートレイトにつけられた村上春樹の文章も。
この『ポートレイト・イン・ジャズ』という書名、僕が言うのもヘンであるが、和田誠も村上春樹も触れていないのであえて言えば、ビル・エヴァンスのアルバムと同じタイトルである。ビル・エヴァンスのピアノ、スコット・ラファロのベース、ポール・モチアンのドラムズというビル・エヴァンストリオの。
たしかに”ポートレイト”も”ジャズ”も普通名詞であるので、別にことわる必要など何もないのだが。和田誠の頭にも村上春樹の頭にも、もちろんビル・エヴァンスのこのアルバムのことはあるのだし。
それにしても和田誠の絵をみても和田誠の奥さんのことを思っても、至極まっとうな人生を送っている和田誠と、クスリに溺れそれで人生を終わったビル・エヴァンスの生涯、僕が考えるに対極にあるような感じもするのだが,
それが面白いものなのかもしれない。
それはそれとして、この「ポートレイト・イン・ジャズ」とタイトルを打った村上春樹がらみのもの、何回か続くかもしれない。だから今日はこれで終わりにする。