論。

平岡正明に捧げられたジャズ本がある。
マイク・モラスキー著『ジャズ喫茶論』(筑摩書房、2010年刊)である。
平岡正明、去年の夏、死んだ。この、”誰それ、いつ、死んだ”、というフレーズ、平岡の書によく出てくる。平岡正明の言っていること、こ難しかったり、面白かったりするが、私が、平岡正明の名を思う時、まず頭に出てくるフレーズは、”誰それ、死んだ”、という言葉だ。
それはともかく、この書が出たのは、今年の2月、半年遅く、間に合わなかった。マイク・モラスキー、「はじめに」の中で、こう書いている。
<本書を、ジャズ喫茶を誰よりも鮮やかに描いてきた(故)平岡正明氏に奉げる。・・・・・本書が刊行されたら第一番にお渡ししたかったのだが、それができないまま、あの無二の存在が亡くなられたことは残念でならない。こころからご冥福を祈る>、と。
面白い本である。勉強になる。
M・モラスキー、1956年、セントルイス生れの学者である。シカゴ大学大学院で、日本文学の博士号を取っているが、初来日は、1976年。その後、日米を往復、日本滞在は、延べ17年に及ぶそうだ。今年の4月からは、一橋大学大学院で教鞭をとっている。
だから、書名に、”論”が付く。サブタイトルにも、「戦後の日本文化を歩く」、とある。
<簡単に言えば、「ジャズ喫茶とは何か?」という根源的な問題を冷静に、いろいろな角度から見直してみるのが本書の目的である>、と言っているが、そう堅苦しい本ではない。しかし、内容豊富。しかも、フィールドワークは、徹底している。
若い無邪気なアメリカ青年が、初めて新宿のジャズ喫茶に入った時から、あちこちのジャズ喫茶を訪れることになる。今に至る30数年の間。日本の端から端まで。北海道から沖縄まで。本島ばかりじゃない。昨日、今日、国会で、何だかんだとなっている、石垣海上保安部の、石垣島まで。
半端じゃない。もちろん、若い頃は、研究のためばかりじゃなかった、こともあるらしい。まあ、そうだろう。それは、いい。だが、やはり、ハンパじゃない。
戦前からの日本のジャズやジャズ喫茶の歴史も、語られる。ジャズ喫茶の店名の分類試論、なんてものもある。売春地帯のジャズ喫茶、なんてものもある。映画や他の芸術と、ジャズとの関わり、なんてものもある。当然、基地の問題、もある。
この私の雑ブログ、ここ半月ちょっとはジャズがらみの尻取りをしている。それも、たまたま「死刑台のエレベーター」を観て、マイルスを思ったところから、突発的に始まったものだが、その「死刑台のエレベーター」についても、また、1週間ほど前に触れた、中上健次と村上龍の対談『ジャズと爆弾』、も出てくる。
「死刑台のエレベーター」については、<・・・・・また、マイルス特有の熱意とクールさが融合する音は、ルイ・マル監督の大胆な構想と渋い感性にうまく合致していると言えよう>、と述べているが、これは、やや類型的に過ぎる。愚昧な私が思うこととと、似たようなものじゃないか。学者の地が、顕れたか、という感じだが。
こういうところがある。
<60年安保闘争からベトナム反戦運動および沖縄復帰運動を通して70年安保闘争が沈静化するまでの間が、モダンジャズ喫茶のもっとも「熱い」時期であったことは偶然ではないはずである。ジャズと闘争(あるいは相倉久人と平岡正明が唱えたように「ジャズと革命」)は、必然的な関係にあると考えなくても、・・・・・>、という個所が。
<ただし、そのような「闘争英雄談」ばかりが強調されてしまうと、・・・・・>、という個所もある。
そう書くアメリカ人が、あの平岡正明と親交を結び、その著を平岡正明に捧げたのは、不思議というより、面白い。ジャズ的、と言ってもいいのかもしれない。
眠くなった。続きは、明日にする。