TALKIN’。

若くして世に出るもの書きは、いずれもジャズ好きで、中上健次も村上龍もそうではあるが、平野啓一郎には、驚いた。
ジャズ好き、なんてものではない。もの凄く聴いている。レベルが違う。
ジャズばかりじゃなく、ロック、クラシック、現代音楽まで、何でもこい、という立ち位置。中でも、やはり、ジャズについては、さあ、どこからでも、という感じである。ジャズでは専門家の小川隆夫と、堂々の四つ相撲を展開している。
その小川隆夫と平野啓一郎による、ジャズについての対談集が、『TALKIN’ジャズ×文学』(平凡社、2005年刊)である。書名の「TALKIN’」は、もちろん、マイルス・デイヴィスの、「WALKIN’」や「COOKIN’」に引っかけたもの。
小川隆夫、ジャズの専門家と書いたが、本職は医者。整形外科医。学生時代からバンドを組み、デビュー寸前までいったそうだが、己の腕に、思い直し、奨学金を得てニューヨーク大学大学院へ留学、リハビリテーションを専攻する。アメリカの大学院、猛勉強をしなきゃついていけない。その猛勉強の傍ら、ジャズを聴きまくる。その経緯が、面白い。
「ヴィレッジ・ヴァンガード」の入口の前の階段で、しばしば、ただ聴きをしていたそうだ。金はないし、冬は暖かいので。ある時、V・Vのオーナーに見つかり、「お前、金を払って入れ」、と言われる。そりゃ、当然だ。「金がないから、半額にしてくれ」、と言っても、「ダメだ。フルプライスだ」、と頑としてはねつけられる。
ところが、リバビリを専攻する医学生だと解かると、「入れ、オレは、肩が痛いんだ」、と言って中へ入れてくれるんだ。中に入り、V・Vのオーナーの肩を触診したりしていると、その日の出演者が次々と、オーナー(マックス・ゴードンという男だが)に挨拶にくる。
M・ゴードン、挨拶にくるプレイヤーに、「こいつは、ただ聴きをしようとしていたヤツだが、ジャズが好きだという。お前のことを知っているかどうか、聞いてみろ」、と言うんだ。ところが、若き日の小川隆夫、挨拶にくるプレイヤーのこと、いつ出たレコードのこれこれはどうのなんてことまで、何でも答えられるんだ。日本にいた時から、ジャズは聴きまくっている。軽いものなんだ。
ところが、相手はビックリする。
それ以来、「ヴィレッジ・ヴァンガード」は、木戸御免になり、多くのミュージシャンと知り合いになった、という。で、今や、整形外科医ではあるが、ジャズに関する著書、ウン十冊という大家になった。
私は、平野啓一郎の小説は、1冊も読んでいない。ごく稀に、新聞や雑誌で目にする程度。平野啓一郎が若くして芥川賞を取ったのは、1999年。時期が悪かった。
日本のバブル、90年代初めから崩壊を始めていたが、この頃でも酷かった。従業員全部集めても100人に満たない、という典型的な中小企業の舵取りをしていた私には、小説を読むゆとりなど、まったくなかった。精神的にも、物理的にも。どうやって企業を維持していくか、ということばかりの時期だった。
その後も、平野啓一郎の小説は、なにも読んでいない。しかし、彼がどういうバックグラウンドを持ち、どういうところを指向しているか程度は、知っている。でも、こんなにジャズ好き、これほど詳しいとは、知らなかった。
前置きだけで、長くなってしまった。眠くもなった。ジャズ好きのふたりの対談に入る前に。
さまざまなミュージシャン、音楽家のことが語られている。ジャズに限らず、ローリング・ストーンズや武満徹のことも。だが、中心は、ジャズ。多くのジャズ・プレイヤーのことが語られる。その演奏、録音、お薦めのレコードのことも。
しかし、多くのプレイヤーのことを語りながら、その誰にも引っかかって出てくるのが、マイルスのことなんだ。ビル・エヴァンスを語ろうと、コルトレーンを語ろうと、ドラクロア(あ、ふたりの話、絵描きのことも出てくる)を語ろうと。そのどこにも、マイルスが出てくる。
100年ちょっとのジャズ史上、マイルスこそ特別な存在なんだ。何しろ、小川隆夫、貧乏医学生として、ニューヨークにいた頃には、マイルスの家にも招かれ、いろんな話をしているのだから。マイルスに熱が入るのも、当然だ。平野啓一郎も、マイルスが好きだし。
もちろん、コルトレーンのことも、よく出てくる。コルトレーンが死んだ後、アメリカのジャズシーンが、一種の虚脱感に襲われたことも。そこで、平野啓一郎、中上健次の死について、こう語っているんだ。
<文壇では、中上健次の死を、コルトレーンの死のように捉えていたところがどっかであったかもしれません。中上自身がコルトレーンが好きだったし、・・・・・どっちも40代だったし>、と。
しかし、若い平野啓一郎、続けて、こう語っている。
<僕はもうちょっと後の世代だから、彼の死後未だに続いている彼を伝説化しようとする一部の人たちには、全然ついていけないところがありますけど、とにかく、彼が死んじゃって、どうしようというような雰囲気があったんでしょうね、当時は。その前には、三島の死に関して、全く同じようなことがあったと思いますけど>、と。
平野啓一郎、中上健次が死んだ時には、まだ10幾つ、三島由紀夫が死んだ時には、まだ生れてもいなかったんだから。
それはそれとして、それにしても、平野啓一郎、ジャズ好きだ。