「至上の愛」と「リンゴ追分」。

今はどうかは知らないが、4〜50年前のジャズ環境はこうであった。ごく標準的なパターンを記せば、こうであろう。
まずは、サッチモの「聖者の行進」や「セントルイス・ブルース」、ニューオーリンズ・ジャズだ。ジャカジャカしている、乗ってくる。これは歌謡曲とは違うな、という感じを持つ。これが、小学生段階。
次の段階は、何と言ってもファンキーだ。ビシビシ、バシバシとドラムを叩く、アート・ブレイキーの「モーニン」や「チュニジアの夜」。これが、ジャズだ、と思う。まあ、中学生段階と言える。
高校に入ると、生意気になる。中には、斜に構えるヤツも出てくる。人生の何たるかも解からないくせに、マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」に痺れたり、いや、その大本のビリー・ホリデイの「奇妙な果実」こそ、本当のジャズだ、ブルースだ、なんてヤツが出てくる。
大学になると、ジャズと芸術なんてことを考える。例えば、マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」、これぞ芸術の極みに達したジャズだ、なんて思う。
しかし、それじゃあきたらない。もっと、何か突きぬけたものを、と考える。行きつくのが、ジョン・コルトレーンの「至上の愛」となる。いわば、大学院段階だ。
たまたまルイ・マルの「死刑台のエレベーター」を観て、マイルスを思い、ここ2か月近く、多くのジャズがらみの書を読み直したり、新たに読んだりしてきた。が、それと共に、多くのジャズを聴いてきた。短期間にこれほどのジャズを集中的に聴いたのは、おそらく、初めて。学生時代、ジャズ喫茶に行っていた頃でも、これほどは聴いていなかった、という気がする。
中でも、ジャズについて発言している人、最も多く出てくる名は、マイルスとコルトレーンであった。このふたり、1926年、同年の生れ。自らのバンドを持つのは、マイルスの方が10年ばかり早いが。マイルスの「カインド・オブ・ブルー」では、コルトレーンは、サイドメンとしてテナーを吹いているのだし。
しかし、マイルスとコルトレーンなくしてモダン・ジャズはなし。特に、コルトレーン。ジャズ好きの大江健三郎も、「最近聴いているのは、後期のコルトレーンぐらいです」、と言っているし。5〜6年前の言葉だが、今でも変わらないであろう。
で、コルトレーンの「至上の愛」。繰り返し繰り返し、聴いた。マッコイ・タイナーのピアノ、ジミー・ギャリソンのベース、エルヴィン・ジョーンズのドラムズ、もちろん、テナー・サックスはジョン・コルトレーン。”黄金のカルテット”である。
パート1の終盤、「A Love Supureme(ア・ラブ・シュプリーム)」という言葉が19回繰り返し出てくる。コルトレーン自身のチャント(唱和)だ。
このアルバムのライナー・ノーツを書いている青木和富は、「1は孤独であり、9は宇宙であり、即ち19は宇宙を前にした一人の創造的な人間というふうになり、さらに1と9を足した10は神の顕現を示すといった具合に、数字にオカルト的な意味をもたせたユダヤ教特有の神秘主義がここに秘められている」、といったややこしいことを書いている。
たしかに、ややこしいことは、事実である。この頃(1964年の録音である)のコルトレーン、アインシュタインに興味を持ち、インド哲学にのめりこんでいた、という。
この不思議なチャント(唱和)、中山康樹著『マイルスvsコルトレーン』(文春新書、2010年刊)によれば、録音は64年12月9日に完了していたのだが、<翌日コルトレーンによる詠唱(あるいはお経というべきか)のパートのみオーヴァーダビングが行われる>、と記している。コルトレーンにとってみれば、どうしても譲れぬ一線があったもの、と思われる。
それはそれとして、この「至上の愛」、”承認”、”決意”、追求”、賛美”、と続いていくが、その出だし、イントロが面白い。
その出だし、イントロ、コルトレーンのテナー・サックスで始まる。力強く、重いコルトレーンのテナーの響きで。それを聴くうち、私は、美空ひばりの「リンゴ追分」の出だしを思い出した。まるで、そっくりなんだ。
私は、レコードもCDも碌に持ってはいないが、「リンゴ追分これくしょん」なんてヘンなものは、持っている。元祖、総本家・美空ひばり以下、尺八、サックス、ヴァイオリン、三味線、フルート、オーケストラ、その他さまざま14人、楽団がカヴァーした「リンゴ追分」のコレクション、アルバムである。
その元祖、総本家である美空ひばりの「リンゴ追分」の出だしと、ジョン・コルトレーンの「至上の愛」のイントロとが、そっくりなんだ。”ルルラリー ルルラリー ッルルラリー ルルルラリー”というところが。
美空ひばりの「リンゴ追分」を米山正夫が作ったのは、1952年。「至上の愛」をジョン・コルトレーンが作ったのは、1964年。時は、離れている。場も離れている。しかし、才は才を呼ぶ、そう思わざるを得ない。
美空ひばり、52で死んだ。しかし、ジョン・コルトレーンは、40で死んだ。
コルトレーンの死に関し、マイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化』(2005年、青土社刊)には、中上健次のこのような言葉が引かれている。<1967年、彼が死んだ年、私はまだ20歳だった。その頃、彼のジャズが一体どういう意味を持つのか整序立って考える事が出来なかったが、好きで、泣いた記憶がある>、との。
相倉久人は、その著『ジャズの歴史』(2007年、新潮社刊)の中で、こう記す。
<ずばりいきましょう。コルトレーンの死によって引導を渡されたのはフリー・ジャズではなくて、じつはバップ以来20年つづいたモダン・ジャズの歴史そのものだったのではないでしょうか>、と。
「リンゴ追分」についても触れておこう。山下洋輔が『ジャズ武芸帳』の中で、こう書いている。
<しかもその間、ひばりが現われる時や、重要な役割を演ずる時には、必ずあの「リンゴ追分」のテーマが鳴り響くのだ。・・・・・これこそ独逸国は誰あろう。かのリヒァルト・ヴァーグナーによって完成された「ライトモティーフ」(示導動機、指導動機、誘導動機)の手法に他ならない>、と。<「俗」もここまでくれば「国俗」だな>、とも。
ウーン、そうか。そうなのか。ジャズの求道者、山下洋輔なれば、やはり、そうか。”あれは、あれ、これは、これ”、なのか、そう思う。
「リンゴ追分」は、大西順子のトリオが、ニューヨークのビレッジ・バンガードで、20分半にもわたる演奏をし、喝采を浴びているのに。このアルバム、途中ベースやドラムズのソロが入るが、大西順子のピアノ、とても繊細、聴きとれぬほどの音を紡ぎだしている。
「至上の愛」と「リンゴ追分」、誰が何と言おうと、共に凄い曲である。