So What(続き)。

マイルス・デイヴィスが、いつごろからジャズの”帝王”、と呼ばれていたのか。

それまでは、ルイ・アームストロングが、ジャズの”王様”であった。"帝王”と”王様”では、語感からして、”帝王”の方が上だろう。
60年代初め、「真夏の夜のジャズ」がきた。50年代末のニューポート・ジャズフェスティヴァルの、いわばドキュメント映画。ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、ジェリー・マリガンなど、多くのプレイヤーやヴォーカリストが出ていた。マヘリア・ジャクソンも。ジャズフェスティヴァルなんてものも、初めて見た、という思いがある。
そこには、マイルス・デイヴィスは、出ていなかった。ビバップ、クール、ハードバップ、いくつものジャズスタイル、ジャズシーンの渦中にあったマイルス、50年代末には、モードジャズを確立していた。1959年には、「カインド・オブ・ブルー」を発表する。しかし、この頃はまだ、”帝王”ではなかったのだろう。モダンジャズの王道を歩んではいても。
その当時は、そのようなことは、私は知らなかった。「真夏の夜のジャズ」を観たのも、おそらく、61年になってから。
私は、前年の夏過ぎまでの約1年半、娑婆にいなかった(別に、刑務所に入っていたわけではない。病院に入っていた。念のため。まあ、拘束されている、ということでは同じであるが)。だから、モダンジャズを聴くようになるのも、2年遅れで学校へ入ってからだ。61年以降。
マイルスの名前程度は、知っていただろう。しかし、聴くのはそれ以降。だから、同い年の連中からは、少し遅れた。そのころには、マイルスの存在、大きくなっていた。さまざまな潮流、アメリカの動きから、1年遅れぐらいで入ってきた日本でも。
昨日の平岡正明の本を探していた時、本棚の隅に『新・100人のジャズメン』(昭和53年、荒地出版社編、発行)を見つけた。30年以上前のもの。書名に”新”と入っているのは、その十数年前の1966年に出したものに手を入れたから、と「あとがき」にある。
モノクロの口絵が、8ページついている。そのトップ、ただひとりだけ1ページを取っているのは、マイルスだ。ジョン・コルトレーンは、1/2ページ、ソニー・ロリンズやセロニアス・モンクは、1/4ページだというのに。数多のジャズメンの中での、マイルス・デイヴィスの存在の大きさ、よく解かる。
その口絵は、これ。同書から複写した。

マイルスの頬、鋭利な刃物で抉り取ったように削げている。よく見知ったマイルスの顔貌である。
おそらく、60年代後半、70年前後の写真ではなかろうか。マイルスが”帝王”となるのは、おそらく、60年代前半。この面貌の頃には、完全なる帝王、絶対者であった時期。75年からは、活動を止め、その後5年間、休息期にはいるのだから。
ここ2〜3日、マイルスのアルバムを何枚か聴いていた。マイルスが、モードジャズを確立する過程の50年代後半のもの。
「WALKIN’」。マイルスが自前のクインテットを持った、50年代半ばのもの。マイルスと同年の生まれながら、まだ、さして目の出ていなかったジョン・コルトレーンを引き入れている。ジョン・コルトレーン、この後、フリージャズのカリスマとなり、1967年、40を待たずに死ぬ。マイルス、人を成長させるのが上手い。
キャノンボール・アダレイとの「SOMETHIN’ELSE」も。中で、「枯葉」がいい。ジョセフ・コスマの「枯葉」だ。イヴ・モンタンが歌った「枯葉」。モンタンの「枯葉」もいいが、マイルスのミュートをつけたトランペットの「枯葉」もいい。とても抒情的。

そして、マイルスのモードジャズの到達点のひとつ、「KIND OF BLUE」。1959年、ニューヨークで録音されている。
マイルスの他、サイドメンは、キャノンボール・アダレイ(アルトサックス)、ジョン・コルトレーン(テナーサックス)、ビル・エバンス(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラムズ)、というセクステット。
5曲入っているが、最初の曲が、「SO WHAT」。
「それが、どうした」とか、「だから、なんなんだ」、といったようなもの。十数年前、ミッテランが取巻きの記者から、隠し子のことを聞かれ、「それが、なにか」、と言ったことと同じようなこと。ミッテランは、フランス語で言っていたのであろうが。
それはともかく、この言葉、マイルスの口癖だったそうだ。”So What”、いい言葉だな。

そんなことより、3曲目が凄い。「BLUE IN GREEN」だ。
ビル・エバンスの単調なピアノに続き出てくる、マイルスの細く鋭い、ミュート・トランペットの出だしが凄い。日本刀の切っ先のような鋭さ。ベースとドラムズは、聴こえるともなく聴こえるだけ。コルトレーンのサックスソロがあるが、マイルスとビル・エバンスのミュート・トランペットとピアノが補い合いながら進んでいく。ブルージーに。
単調だと言えば、単調なんだ。これが、モードジャズの辿りついた極み。鋭いと言えば、鋭い。何より、美しい。
そのマイルスに関し、ジョン・F・スウェッドは、『ジャズ・ヒストリー』(諸岡敏行訳、2004年、青土社刊)の中で、こう記している。
なお、このジョン・F・スウェッドなる人、イェール大学の人類学の教授。人類学の教授がどうしてジャズを、と思うが、彼の専門領域は、アフリカ、アメリカ、そして、アフリカン・アメリカンだそうなんだ。だから、アフロ・アメリカンが多いジャズの世界も研究領域に入る。ジャズの世界、ともかく詳しい。半端じゃない。
スウェッド教授の言っていること、少し長くなるが、かいつまんで引いておこう。
<マイルス・デイヴィスはルイ・アームストロングと同じようにその時代を象徴する存在だ。ジャズのあらゆる面を新しくして、強い影響を残した。・・・・・その死から長い年月がたっていながら、いまなおデイヴィスの音楽が受け入れられている事実は、手がけた音楽領域と影響力の広がり、大胆な革新がどんなに際立っていたかを教える>、と記し、続けてこんなことも書いている。
<それでもデイヴィスはトランペットの大家ではなかった。実際、その音楽活動をとおして何度も、あまりに自信なさげで演奏技術が未熟すぎるという評判をとった。・・・・・>、ということを。オイオイ先生、何ということを。
しかし、その後、こういうことも書いている。
<しかしデイヴィスは弱さとされたものを芸術としての強さに変え、ファンの世代はつぎつぎに変わっても、変わることなく自分のとりこにした。・・・・・ジャズが生んだ最後のスーパースターの出現をみることとなった>、と。
演奏技術の専門的なことは、解からないが、マイルスの音はいいよ。今、聴いても。スーパースターも”帝王”も、どうでもいい。マイルスのミュート・トランペットの音が、心に響けば。


ミュートをつけたマイルスのペット。
”So What(それが、どうした)”、と言われれば、”So What(それが、なにか)”、ということだけ。