ヌーヴェル・ヴァーグのころ。

公衆電話をかける女。ジュテーム。待てども、男は来ない。ミュートを付けたトランペットの鋭い音が被さる。
夕暮れの街中を歩く女。カフェを覗く。男はいない。夜も更けたパリの街を女は歩く。雨に濡れながら。ミュートを付けたペットの音が追いたてる。キレギレに、切り裂くようなペットの音。

50年以上前のルイ・マルのデビュー作、「死刑台のエレベーター」。1958年、ルイ・マル、弱冠25歳の時の作品。スタンダードの白黒映画。手持ちカメラによる映像。日本での公開は、60年前後だったのではなかったか。衝撃的だった。当時、はたち前後の若造には。
ルイ・マルという名、この映画で覚えた。硬質な二枚目、モーリス・ロネもよかったが、なにより、ジャンヌ・モローだった。じっと見つめる目、伏せた目、そして、両端が下がり、への字になった唇、すべてに魅かれた。これぞ、フランスの女だ、と。
60年代前半、フランスから、ウッ面白い、という若い監督の作品が、次々と入ってくる。ジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」、クロード・シャブロルの「いとこ同士」、彼らよりは少し年上だが、アラン・レネの「二十四時間の情事」、・・・・・。ヌーヴェル・ヴァーグの到来だった。
役者もよかった。男では、ロベール・オッセン、クリスチャン・マルカン、といったエッジの利いた男優が。女では、何といっても、ジャンヌ・モローだ。その少し前では、シモーヌ・シニョレ、少し後では、アヌーク・エーメが好きだった。単なる美人女優ではない、どこか歪んだ、影があるような女優が。

愛人関係にある、鉱山開発会社の社長夫人とその会社の社員、自殺に見せかけ、社長を殺す。しかし、男は、ひとつのミスを犯す。そこからの心理サスペンス。破滅へと向かう。リノ・ヴァンチュラ扮する刑事に追いつめられる。
リノ・ヴァンチュラも懐かしかった。私にとって、ヌーヴェル・ヴァーグ以前のフランス映画は、ジャン・ギャバンだったから。特に、ギャバンのフィルム・ノワール。そこには、リノ・ヴァンチュラも多く出ていた。
それはともかく、改めて今観ると、時代も感じる。殺された開発会社の社長、インドシナで、アルジェリアで、悪辣な儲けをしているようだ。仏領インドシナからの撤退、アルジェリアの独立闘争とOAS、25歳のルイ・マルの頭にある。また、サイドストリーで、やはり殺されるドイツ人は、最新のメルセデスに乗っている。第二次世界大戦からの復興著しい、ドイツを象徴しているのだろう。
20代後半、30前後のヌーヴェル・ヴァーグの若い監督、ルイ・マルに限らず、社会より、その中での個を主張していた。しかし、その胸裏には、自分が今いる世界が、自ずと投影されていたのだろう。

だが、若かった私にとっては、何といっても、ジャンヌ・モローだったな。ジャンヌ・モロー、この時、30前後。
先週の週刊文春(10月14日号)に、パリの自宅リビングでの、ジャンヌ・モローの写真が載っている。
取材の記者が、想像よりも質素に見えた、というリビングの四方は、書棚が囲んでいる。「片付けても本だけは手放せないの」、と。82歳になったジャンヌ・モロー、知的な女であることは、変わらない。こういうことも言っている。
<なかでも私にとって「死刑台のエレベーター」は、決定的な体験でした。照明もスタジオもなく、カメラは手持ち。どんな映画作りとも違っていた。ヘアメイクもなくて自分でやったわ>、と。
記事には、<「死刑台のエレベーター」で、マイルス・デイビスのトランペットを道連れに、夜を彷徨ったシャンゼリゼは目と鼻の先だ>、ともある。
オッと、忘れるところであった。マイルス・デイヴィスのことを。「死刑台のエレベーター」で、マイルスを忘れちゃいけない。
映像に被さるように響く、ミュートを付けたトランペットの切り裂くような音、ルイ・マルのプリントのラッシュを見ながら、マイルス・デイヴィスが、即興で音をつけたものなんだから。名曲となった。
ジョン・F・スウェッド著、諸岡敏行訳の『ジャズ・ヒストリー』(2004年、青土社刊)には、こうある。
<メロディーは切れぎれで、ほんのちょっとあらわれて消える場合も多い。デイヴィスはここでヨーロッパのミュージシャンと共演した。前に顔を合わせたことはなく、その場でスクリーンをみながら、自分の印象を即興で音楽にしている。・・・・・チャーリー・パーカーの影響下にあって、静かな情熱をこんなにはらんだ珠玉のような吹きこみができるビバッパーは何人いたか>、と。
そう言えば、ジャズ(ばかりじゃないが)にはうるさい(それどころではないが)平岡正明が、最初に買ったマイルスのレコードは、この「死刑台のエレベーター」のサントラ盤だそうだ。

「死刑台のエレベーター」、ルイ・マルの映画であり、ジャンヌ・モローの映画であり、マイルス・デイヴィスの映画でもあった。