京都・洛西苔めぐり(10) 地蔵院。

西芳寺(苔寺)からバス停へ戻ると、すぐ横に地蔵院への道がある。

バス停から3、4分となっているのだが、初めにこの石段である。私はその倍以上かかった。

石段を上りきった少し先に、小坊主の案内板がある。

先の方に小ぶりな門が見える。
道の両側には苔。洛西の寺である。

地蔵院総門。

地蔵院、このような寺である。
主となるキーワードは細川頼之である。室町時代、彼が夢窓国師の高弟・宗鏡禅師を招請してこの寺を建立した、という。

<一休禅師修養の寺>、とある。
一休禅師、頓智の一休さんである。
よく知られる一休さん、実は、帝の御落胤である。
後小松天皇の皇子として応永元年(1394)1月1日に生まれている。故あり、母御は御所を去り、地蔵院近くの民家で皇子を出産、その皇子が地蔵院で養育されたそうだ。その皇子が一休さん、後の一休宗純禅師である。
そのようなことが、受付でもらったパンフに記されている。
後の世に残る「頓智の一休さん」や「洒脱な一休さん」は、このような出自にその背景があるのであろうか。

地蔵院はまた、「竹の寺」としても知られている。竹藪の参道を進む。

本堂。

中門。
やはり洛西の寺、周りは苔の中。
この奥に方丈があり、その前には十六羅漢の庭と呼ばれる枯山水の庭園がある。

しかし、方丈は修復工事中であり、ここ以降の写真も許されていない。
実は、方丈には、元首相・細川護熙が描いた屏風絵・「瀟湘八景の図」がある。それも見ることができなかった。細川護熙、焼き物を焼き、書も嗜み、文藝の素養も半端でなく、絵も描く、オールマイティーの趣味人、さすが殿様だ。その嚆矢が、南北朝時代の細川頼之にあるようだ。
いずれにしろ戻る。

向こうは竹林。

竹がほのかに。

もちろん洛西、苔もある。

このようなものがある。
はて、いったい何なのか。

墓である。
地蔵院を建立した細川頼之と宗鏡禅師の墓。
自然石を置いただけの墓、珍しい、と記されている。

細川頼之の墓。

宗鏡禅師の墓。

苔の向こうに竹林。

竹林の参道を戻る。

地蔵院、竹の寺。

竹。

細川頼之から細川護熙まで、地蔵院を出る時、右手前の受付の人に「地蔵院は細川家の菩提寺なんでしょうか」、と訊いた。「菩提寺ではありません。が、南北朝期の細川頼之さん以来、細川家との繋がりは深いようです」、ということであった。



ジャンヌ・モローが死んだという。
フランスの女、パリの女だった。
初めて知ったのは『死刑台のエレベーター』。
ルイ・マル、25歳の作品。マイルス・ディヴィスのミュートをつけたペット、ゾクッときた。いい女ジャンヌ・モローは30歳だった。
『恋人たち』、『ビバマリア』、何年か前の『クロワッサンで朝食を』までフランスの女、パリの女であった。

6、7年前、渋谷のイメージフォーラムでかかった半世紀ぶりの『死刑台のエレベーター』の劇場前のポスターを複写する。