断髪式。

まさに、駆け抜けた。
17歳で来日、2年後の1999年大相撲の世界へ入門、その2年後には入幕を果たした。その翌年、2002年の秋場所には、はやくも大関となった。と、なんと、大関わずか3場所で、翌2003年春場所には横綱に推挙された。
この初場所後、自ら撒いた種とはいえ、強制引退をさせられるまで、まる7年間横綱を張った。なんと、11年間の土俵生活の中、その2/3は、圧倒的な強さを持つ横綱として、土俵上に君臨した男だった。白鵬が、ひたひたと追ってはいたが、その存在感は、格段のものであった。
7場所連覇、優勝回数25回の記録は、その内、白鵬に破られるだろう。しかし、やはり、紛れもなく大横綱であった。さまざまな物議は醸したが、魅力的な男であった。
その朝青龍の、断髪式の映像をニュースで見た。大銀杏を切り落とし、土俵を降りた朝青龍、暫くの間、土俵に口づけをし、その後、軽くポンポンと二度、土俵を叩いていた。私には、とても印象に残るシーンであった。
朝青龍、その後のインタビューで、もし生まれ変わったら、大和魂を持った日本人になって、どうこうとか、いい人間になってとか、3〜40代は暴れますよとか、言っているが、そうなっても、そうならなくても、それはいい。朝青龍、まだ30歳なんだから、何でもできるし、どうにでもなる。
それよりも、土俵に口づけた後の、軽い二度のポンポンだ。手のひらで軽く、ポンポンと二度叩く仕草は、愛する人、愛しいものに別れる時の仕草である。私は、そう思っている。いや、お解かりにならない幸せなお方は、それはそれでいいのですが。ともかく、私は、そう思っている。
”あっ、朝青龍、これで未練を断ち切ったな。愛しいものに別れを告げたな”、私は、そう思った。
わずか10年ちょっと、土俵の上に君臨し、駆け抜けて行ったモンゴルの若者、私は、好きだった。
そう言えば昨日、千代大海の断髪式もあったんだ。
体のデカイ大分の悪ガキが、相撲の世界に入り、町を出て行った時には、町の人が皆喜んだ。あの悪が居なくなった、と言って、というよく知られた話は、以前書いた憶えがある。その悪ガキ、大関にまでなった。
断髪式で、師匠の九重の止ばさみの前に、お母さんがはさみを入れたそうだ。もちろん、女は土俵に上がれない。だから、千代大海が土俵を下り、お母さんにはさみを入れてもらったそうだ。悪ガキの親孝行、これも泣かせる。
千代大海、今は、親方、佐ノ山だ。裏カジノ問題でグレー、継続調査なんてことになっているが、そんなこと、やめてしまえ、と私は思っている。大分の悪ガキだった千代大海、裏カジノがどうこうとか、野球賭博にも関わっているかもしれない。しかし今は、親孝行で、強い力士を育てたい、と言っている男なんだ。許してやれ。
相撲協会の特別調査委員会委員長の早稲田の特命教授、伊藤整の息子ならば、そんなことは、推し量れ。情状酌量で、この件は終わり。後は、強い力士を育ててくれ。そう言えば、それでいい。
魅力的な力士二人の断髪式二題、これで終わり。