大相撲 初場所。

初場所、今日が千秋楽、終わった。
今までなら、場所中に2回は、相撲のことを書いていたが、「日本遺産」が思いのほか延びたり、”ハイチ支援をよろしく”ってことは、書いとかなきゃな、ということで、千秋楽になっちゃた。
朝青龍の25回目の優勝は、立派。なにしろ、あの北の湖を抜き、大鵬、千代の富士、という大横綱に次ぐ、歴代3位になったんだから。しかし、今日の白鵬戦は、また負けた。これで、対白鵬、本割では7連敗。対白鵬ということだけで言えば、その力、白鵬の方が完全に上廻っていることは、認めなきゃならない。朝青龍贔屓の私から見ても。
朝青龍の全盛期は、年6場所、完全優勝を遂げた5年前。また、その前後の2〜3年。相撲の取り口は、その頃の強引な取り口からは、変わってきているが、それは、力の衰えを、技でカヴァーしているもの。私は、そう見ている。
それでも、今場所の把瑠都を豪快に叩きつけたり、琴欧洲をかいなひねりで一回転させたり、といった大技を時折り見せる。だが、それは、朝青龍の技も凄いが、それを食う把瑠都や琴欧洲の相撲が、いま一歩、ということにもある。
それはともかく、今場所の白鵬、どうも、慢心していたんじゃないか。昨年、6場所を通し、4敗しかしなかったということで。「オレはもう負けない」、とでも思っていたんじゃないか。気が緩んでいたように、思われてしかたない。
3敗の内、それが、最も顕著に表われたのが、13日目の対魁皇戦だ。魁皇が、相手のかいなを取り、とったりに来ることなんか、相撲取りなら、誰もが知っており、誰もが警戒している。それを食うなんて、昨日今日、幕に入った力士ならいざ知らず、横綱がまんまと食うなんて。慢心、安易に相撲を取ったとしか思えない。しかも、このところ、ズッと負けたことのない魁皇に。
最後には意地をみせ、朝青龍には勝ったが、今場所の白鵬、反省の場所となったろう。
魁皇にかいなを取られて敗れるなんて、安易な相撲を取った、と白鵬には、苦言を呈したが、勝った魁皇は、大したものだ。あの1勝、大きい。昨年6場所通し、全て8勝7敗だったものが、今場所は、9勝6敗になったんだから。幕内通算勝ち星も、千代の富士を抜き、歴代1位となった。今日も勝ち、815勝。福岡県の県民栄誉賞も受けるそうだ。
それにしても、魁皇への声援は凄いな。その人気は。ファンばかりでなく、NHKのアナウンサーは、名大関と言って褒めちぎるし、解説に出てくる親方衆も、誰も皆、魁皇については注文めいたことは言わないし。魁皇は、”いるだけでいい”、というアンタッチャブルな相撲取りになりつつある。私も、魁皇は好きな力士のひとりなのだが、ちょっと加熱しすぎじゃないか、と思っている。
その魁皇と3日目にあたり、送り投げで敗れた千代大海が、翌日、引退した。よかった。6敗するまでは、と言っていたが、ここが引き時だ。本当は、前場所で引退してほしかったが、その相撲を見た私は、そう思った。
解説の北の富士も、「見事な負け方だ」、と言っていた。ここで引退しろ、という思いが言外に含まれている、私には、そう思われた。北の富士は、千代の富士の師匠、いわば、千代大海の師匠の師匠だもの。
翌日、師匠の九重(元千代の富士)と共に、引退の記者会見をした千代大海は、「最後に魁皇関とあたってよかった」、と言っていた。そうだろう。年は魁皇より下だが、大関としては、先輩大関。魁皇の苦しい時には、同じ大関仲間の栃東と共に、魁皇に胸を出し、ずいぶん助けていたもの。いいヤツだった。好きな相撲取りだった。
その引退会見で、師匠の九重が、冗談めかして、「ここまでよくやった。いかに師匠の指導が良かったか、ということだな」、と言っていたが、まさに、その通りだ。今場所中、何度も出てきたが、頭に剃りを入れた、喧嘩自慢の大分の悪童が、相撲の世界に入り、大関にまでなった。本人の天分、努力もあったが、師匠の力も大いにあった。相撲の世界、さまざまなことがあるが、人間を変える。凄い世界だ。
史上最多、14回の角番記録もあるが、大関在位65場所も、歴代1位。千代大海、凄い相撲取りだった。
幕内通算、597勝402敗、勝率5割9分8厘。歴代1位の勝ち星を誇る魁皇は、幕内通算、815勝533敗、勝率6割飛んで5厘。その勝率、ほとんど同じだ。片方は、名大関と言われ、片方は、そうは言われてはいないが。
たしか、9日目だったと思うが、NHKの中継に、ゲストとして、千代大海が出ていた。バチッとしたスーツを着てネクタイ姿で。とても清々しい感じを受けた。その表情も、ふっきれたように感じられた。「これから親方として、どんな力士を育てたいか」、というアナウンサーの問に、「自分の頭で考えて相撲を取る力士を育てたい」、と答えていた。生真面目に。
今場所、朝青龍が優勝し、魁皇が通算勝ち星の記録を塗り替えた場所ではあるが、私にとっては、千代大海が引退した場所、として記憶されるであろう。