オンリーワン。

本は好きだが、愛書家ではない。雑に扱うということはしないが、愛でるということもない。
ただ、時には、ノートがわりに使う。字を書いたり、絵を描いたり、何かを貼りつけたり、色を塗ったり、といったことをする。初版本マニアや、買った本にパラフィン紙を被せているような人たちには、そんなことをしたら、本の価値が下がってしまうじゃないか、と言う人もいるが、何かまやしない。オンリーワンの本ができる。
特に、美術館の図録や美術書に、そうすることが多い。別に、ノートがないからというわけではなく、何か描いたり、貼りつけたりしようか、と思う時があるからだ。昨日の「東京大学展」の図録にも、字と共に、その時に拾った公孫樹の葉っぱが貼りつけてあった。変色もしていなかった。
タイムライフの『デュシャン』にも、あちこちに、いたずら描きや紙片を貼りつけたりしたページがあった。他愛もないものだが。

この時には、このような尖がった三角形を貼りつけているものが多い。

こりゃ何じゃ。托鉢僧か。いや、乞食坊主だな。

いたずら描きにしろ、デュシャンの世界とはほど遠いものだな、これは。
デュシャンに怒られるかもしれない。「勝手に碌でもないものを描くな、オレの本に」、と言って。デュシャンも勝手に碌でもないものを使っていたのだが。サインひとつを加えることによって。コロンブスの卵だ。
デュシャンにあれをやられ、その後の才能豊かな20世紀の芸術家、どれほど悩んだか。”オレは、どうすりゃいいんだ”、と思って。私たち素人は、大いに楽しませてもらっているが。

貼りつけられているものは、高輪美術館のデュシャン展のチラシを切り抜いたものが多い。

後ろの白いページに、これが貼られていた。
このまま「デュシャン展」のチラシ、といってもおかしくない、とも思える(そんなことはないか、やっぱり)が、実はこれ、切ったり、貼ったり、色を塗ったり、と手をかけている。そうどうこう言うほどのものではないが、多少は。
たまたま29年前の本が出てきたので、今日のブログはこうなった。
それにしても、またまた、向井万起男にお出ましいただかねばならない。
「昨日、今日、余計なことにお付き合いいただいて、ゴメンナサイネ」、と。