マルセル・デュシャンと日本美術(続き×2)。

<マルセル・デュシャンさん、今年は1966年で、あと数か月であなたは80歳になります。・・・・・。これまでの人生を振返ってみて、あなたがいちばん満足なさっているのはどんなことでしょう。>
<まず、運がよかったことですね。実際のところ、私はこれまで生活のために働かなければならなかったことはないのですから。・・・・・。>
・・・・・。
・・・・・。
<それでは、いちばん残念に思っていらっしゃることは何でしょう。>
<何もありません。本当に何も。>
デュシャンが死ぬ2年前、美術評論家のピエール・カバンヌが長いインタビューを行なった『デュシャンは語る』(訳:岩佐哲男・小林康夫、ちくま学芸文庫 1999年刊)は、こうして始まる。
書中、知性とか論理とか個々の作品についての話とか、といったことももちろん出てくるが・・・
<あなたは何で暮しをたてていたのですか。あなたの絵で?>、という問いに対し・・・
<父が援助してくれました。とても単純なことです。・・・・・。>、と答えている。
イヤミなヤツだなー、デュシャンはって思いもする。しかし、天才というのは案外こういうバックグラウンドを持っている人に多いんだ、とも思える。食うや食わずでとか、石にかじりついてもというのは、秀才には見られても天才にはそぐわない。
だから、イヤミではあっても天才の方が面白い。デュシャンしかり。

東博のデュシャン展、進んでいこう。

晩年のデュシャンだな。

ここへ出た。

マルセル・デュシャン≪彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも≫。

通称「大ガラス」。
オリジナルはフィラデルフィア美術館にある。これは東京バージョン。東大にある。

東大と当時東野芳明のいた多摩美とのコラボで制作された。

1997年、東京大学創立120周年記念の「東京大学展」が催された。私はそこで初めて「大ガラス」を見た。この東大バージョンを。
その時の図録から複写する。

後ろから。

フィラデルフィア美術館のオリジナル。

このような。

先述の書・『デュシャンは語る』の中で、聞き手のピエール・カバンヌはデュシャンにこう訊いている。
<「大ガラス」のアイディアは、あなたの頭の中でどのように生まれたのですか。>、と。
<わかりません。・・・・・。ガラスは、支持体としてはたいへんおもしろいと思いました。・・・・・。さらに、透視画法もひじょうに重要なものでした。・・・・・。>、と。
<・・・・・。あなたが取組まれたのは、科学的な問題でしたね。比率や計算の問題。>、との問いに・・・
<すべての絵画は、・・・・・、反科学的のものになっています。それで私は科学の正確で厳密な面を導入することに興味を持ちました。・・・・・。>、とも。

「大ガラス」に取りこまれているこれ・・・


これ。

進む。

レディメイドが生まれる。
「レディメイド」って既に生まれているってことだから、「レディメイドが生まれる」って表現はおかしいな。しかし、やはり「レディメイドが生まれる」以外ない。

これを見ても。

このような。

そして、これである。

≪泉≫である。

小便器に”R.MUTT”とサインを入れた。デュシャンは。

アルフレッド・スティーグリッツは写真を撮った。

このように。
ところで、今、「マルセル・デュシャン=≪泉≫という図式はもうやめにしませんか?」、と言っている男がいる。
京都工芸繊維大学准教授の平芳幸浩という男である。
デュシャンと言えば「泉」っていう短絡思考はやめにしよう、と言っている。
それはいい。が、こういうことも言っている。
「この展覧会を見た人のうちどれくらいが企画者であるマシュー・アフロンの記した『マルセル・デュシャン 人と作品』を読んだかは知る由もないが、・・・・・」、と。
マシュー・アフロンという男はフィラデルフィア美術館の学芸員だそうであるが、そのような男を知る日本人など1万人にひとりどころか百万人にひとりもいないであろう。平芳幸浩、バカじゃないのか。私など、東博の学芸員の名前も知らない。
平芳幸浩、こうも言う。
今回の「マルセル・デュシャンと日本美術」展は、この後、ソウルとシドニーを巡回するフィラデルフィア美術館のパッケージ企画なんだ」、と。東博のオリジナル企画展ではないんだ、」と。
さらに、平芳幸浩、今回の東博の「マルセル・デュシャンと日本美術」展についてこうも語る。
「国立の研究機関としての責務を放棄した態度にさえ見えるのだ。東博の学芸にデュシャンの研究書を読みこなしてきた専門家がいないことは間違いないので、・・・・・」、と。
平芳幸浩、東博に対し、また、東博の学芸員に対し喧嘩を売っている。
平芳幸浩、大阪生まれ、学校は京大大学院の博士課程卒、その後、大阪の国立国際美術館へ、そして現在は京都工芸繊維大学の准教授。ガチガチの関西人と思うが、実はこの男、私も見た2004年から2005年にかけて国立国際美術館と横浜美術館で催された「マルセル・デュシャンと20世紀美術」の企画者である。マルセル・デュシャンの専門家なんだ。
それにしてもである。東博や東博の学芸員、平芳幸浩に喧嘩を売られてどう反撃するんだ、と思っていた。学者や研究者の世界、喧嘩、論争はつきものだ。
が、東大がらみが多いと思われる東博側から何の反論もない。
私も今年、東博には「一体全体どういうことだ」、と文句をつけたが、大阪、京都の関西人から喧嘩を売られた東博、ダンマリとは情けない。
それはそれとして・・・
「マルセル・デュシャン=≪泉≫という図式はもうやめにしませんか?」、という平芳幸浩、デュシャンの「泉」に関する大分の書を上梓している。
平芳幸浩+京都国立近代美術館・・・編『百年の≪泉≫・・・・・便器が芸術になるとき』(2018年 LIXIL出版刊)。250余ページに亘り、上から下まで、右から左まで、「泉」そしてデュシャンについて記されている。
「デュシャン=≪泉≫という図式はもうやめにしませんか?」と言う平芳幸浩、デュシャンの≪泉≫は、オレの本を読めばいいんだ、といっているのかもしれない。ゴツい男だな。

≪泉≫が浮かんでいる。
下のレディメイドは・・・

これ。

ところで、デュシャンは年をとるまで結婚しなかった。結婚をする必要性がなかったんだ。
先述の平芳幸浩の書・『百年の≪泉≫・・・・・便器が芸術になるとき』にこういう記述がある。
<美形で物腰が柔らかく知的な雰囲気を漂わせていた彼は、女性関係も華やかで、デュシャンに絡んで名前が登場する女性はほぼ全員が、彼と関係があったか彼と関係を持ちたくても果たせなかったかのどちらかだ。・・・・・。>、との。
何と。周りの女性、全員ってことだよ。片手ぐらいかな、いや両手ぐらいかな、と思っている連中とは桁違い。
この横顔を見ても、納得する。

「ローズ・セラヴィ」である。

”LHOOQ”。

このような。

1932年のボックス。

このような。

この夏前、大阪の国立国際美術館でも見たロトレリーフ。






≪マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による≪トランクの中の箱≫。


このような。

「グリーン・ボックス」だ。

このような。

右側を。
グリーン・ボックス、300作られた。
7年前の千葉市美術館での「瀧口修造とマルセル・デュシャン」にも出ていた。デュシャンの「グリーン・ボックス」、瀧口修造も持っていた。300分の1を。
デュシャンの思いが詰まっている。