年代(4) 20代・・・挑戦。

恐れるものは、何もない。やりたいことをやる。失敗したら、やり直せばいい。
挑戦し、飛躍し、飛翔する。この年代の特権だ。
印象に残る最近の例では、この男だろう。

本田圭佑、24歳。
常に、挑み続けている。
先般のW杯、1次リーグを突破した時も、満足できない、と言っていた。優勝すると公言してるんで、と。さすがにそうはならなかったが、そのビッグマウス、実績を伴っていた。
2年半前、21歳でサッカー強国オランダのクラブチームへ渡り、昨年暮れ、ロシアリーグの名門、CSKAモスクワへ引きぬかれる。その移籍金、1000万ユーロ(約11億円)、本田自身の年俸も1億数千万に。
本田自身は、いずれはヨーロッパサッカーの中心のひとつスペインリーグで、なおかつ、名門中の名門、レアル・マドリードのキャプテンマークを巻いてプレーすることを考えているらしい。
CSKAモスクワと本田の契約期間は、4年間。もちろん、途中での移籍は可能。金に糸目はつけぬレアル・マドリード、移籍金を積めばいい。W杯後の今、その額は、CSKAモスクワが獲得時に支払った額の、軽く数倍にはなるだろうが。CSKAモスクワは、1〜2年で大きな利ザヤを稼ぐことになる。
本田の年俸も大きく上がるだろう。プロスポーツの世界、その評価は、明確に金銭に反映されてしかるべし。それよりも・・・・・
本田の夢、叶うかどうかは、本田次第。レアル・マドリードの関心を引くためには、今のレアルの前線、クリスティアーノ・ロナウド、イグアイン、カカ、といった世界屈指のフットボーラーを、凌がなければならないのだから。今の本田じゃまだまだその力量、敵わない。かなりの差、というのが正直なところだろう。
しかし、恐れることなく挑み続ける本田、その可能性十分ある。24歳だもの。
本田圭佑、今ごろは、ロシアのどこかのピッチに立ち、ゴールを狙っているだろう。

この男もヨーロッパへ旅立った。川島永嗣、27歳。
右に左に飛びついて、ファインセーブを連発し、日本のゴールを守った川島、夢が叶いヨーロッパでのプレーに飛びだした。ベルギーリーグのリールセSKへ移籍した。まさに、飛躍だ。飛翔した。
川島、今までにも、イタリアへの短期留学をしていた、という。英語、イタリア語、ポルトガル語の勉強もしていたそうだ。いずれの日にか、サッカーの本場、ヨーロッパでプレーをする為に。チャレンジ精神旺盛な男だ。
当然のこと、リールセSKへの入団発表の会見でも、記者との応答、英語でこなしていたそうだ。20代の川島、その内すぐにオランダ語もマスターするだろう。
それもいいが、ベルギーでもファインセーブを連発し、さらなる飛躍、イギリスのプレミアリーグかイタリアのセリエAへの移籍を、と願っている。


私の好きなこの男も飛躍した。長友佑都、23歳。
170センチと小柄ながら、相手の攻撃を身体を張って止めていた。エースキラーと言われた。しかし、私が長友を好きな理由は、サイドバックというディフェンダーでありながら、ドリブルで攻め上がり、自らシュートまで持って行ってしまう、それがよかったんだ。とてもアグレッシブで。なかなかシュートを打たない日本の選手の中で目立った。いいじゃないか、長友は、と。
ところが、専門家の眼には、こういう長友の動き、必ずしもいいプレーとは映らなかったようだ。オランダ戦だったかデンマーク戦だったかの後、イビチャ・オシムがこう書いていた。「長友は、サッカーがチームプレーだということが、解かっていない」、と。オシムから見れば、たしかにそうなんだろうが、私は好きだった。長友の積極性が。
その長友、イタリア、セリエAのACチェゼーナへ移籍、旅立った。
これも、20代であればこその挑戦、飛躍、飛翔。
世界の俊秀が集まるサッカーの本場、ヨーロッパへの挑戦、その場で実績を積んできた本田圭佑はともかくとして、初の挑戦となる川島永嗣と長友佑都にとっては、必ずしも成功するとは限らない。力及ばず、挫折するかもしれない。
その時には、日本に帰ってくればいい。挫折した苦い思いを、土産にして。20代、挫折をすることが、必ずしも悪いことではないのだから。むしろ、あった方がいいこともある。再チャレンジができるのも、20代なんだから。
ここまで書いてきて、手が停まった。
本田にしろ、川島にしろ、長友にしろ、プロのスポーツ選手である。その中でも、類稀れなる才能に恵まれた男である。それだから、やりたいことに挑戦し、飛躍し、と言える。たとえ挫折しても、とも言える。私も、気軽に。
しかし、世の中には、挑戦しようにもその場がなく、人生の初めから挫折のみ、という20代の若者も多くいる。機会さえない、仕事がない、という20代が。普天間がどうこうとか、ねじれ国会でどうこうとか、という後ろに隠れ、このところ表にはあまり出てはこないが、非正規労働、就職難の問題、なんら変わっていないんじゃないか。
自己責任で片づけられる問題じゃない。政治の問題、国の問題だ。せめて、挑戦の場を、再チャレンジのシステムを、考えなくてはいけないだろう。どのような若者にも。すべての20代の人たちに。国の責任で。
それでこそ、20代、挑戦の年代だと言えるのだから。