年代(5) 70代・・・報国。

政権交代後1年近く、民主党政権さしたる成果を挙げてない。成果どころか、あちこち突きまわし、混乱の種のみ撒き散らしている。
個々の細かいところは言わず、その大本は、経験不足、場馴れしていないところにその原因がある、と私は見ている。
その中で、ホーこれはヒットじゃないか、と思ったのが、新しい中国大使への、丹羽宇一郎の起用だった。
6月の初めのころ、新中国大使に丹羽宇一郎の名があがっている、というニュースが流れた。オー、これはいい、経験不足ながら、今までのやりようを変えるという民主党の考え方、これに関しては、良い方に向かったんじゃないか、と思った。
どうも初めは、あちこち抵抗があったらしい。もちろん、外務省からも。中国駐在大使は、並みの国の大使とは違う。国連、そして、アメリカ、ロシアに次ぐ、大きく重いポストである。今までは、外務省のキャリア、それもチャイナスクール組の俊秀が就いてきたんだから。
財界からも、懸念の声がでた、という。特に、商社から。丹羽宇一郎に中国大使をやられたら、これからの中国ビジネス、伊藤忠に押さえられてしまう、という懸念が。大企業の連中も、尻の穴が小さいんだ。そんなことするか、丹羽が。さらに、当初、中国側からも懸念が伝えられた、という。
昭和47年(1972年)の日中国交回復以来、外務省のキャリア以外が、中国大使に就いたことはない。そこに、一民間人を就けようというのだから。彼我双方から抵抗があること、十分考えられる。しかし、丹羽宇一郎を中国大使にすること、そもそも誰のプランかは知らないが、官邸の考え、成った。よかった。
3日前の夜のニュースで、丹羽宇一郎の歓送会の模様が流れた。明後日(31日)、赴任するようだ。
現役時代、中小企業の経営者の端くれをしていたので、その当時は、いわゆるビジネス誌と言われるものにも目を通していた。大企業の経営者へのインタビュー記事などが多く出ていたが、時折り、伊藤忠商事の社長、また、会長である丹羽宇一郎の記事も掲載されていた。丹羽宇一郎の言うこと、どこか、他の大企業の社長連中、いわゆる財界人と言われている人たちとは違うんだ。ひと口に言って、まともなんだ。
折々に、こういうことも知った。
学生時代は60年安保闘争を闘い、伊藤忠(父親が小さな企業をやっていたので、母親を安心させる為、毎月キチンと給料をくれる大企業へ入ったそうだ)へ入り、その後、10年近くアメリカで商売をし、日本へ帰った後、1998年に社長になり、翌年、4000億近い不良債権の処理を成しとげ、その2年後には、伊藤忠創設以来最高額の利益をあげ、2004年には社長を譲り、会長となり、後進の指導に力を入れていた、といったこと。
中国大使に決まった後は、伊藤忠からは完全に身を引いたろうが、それまでは、取締役相談役ということだったようだ。
伊藤忠が厳しい状況にあった時には、役員報酬も返上していた。大企業の役員なら当たり前の、社用車での日々の送り迎えも断り、ズーッと電車通勤を通したようだ。伊藤忠の他の役員は困ったろうな。丹羽宇一郎、無私の人とも言われていた。
このようなサイドストーリーは、それとしても、(そういう男であるから、ということもあるが)、丹羽宇一郎の言うこと、解かりやすいんだ。当たり前のことを、正直に言っている。以前から。
3日前の歓送会の時には、こう言っている。
日中FTA(自由貿易協定)を進めないと、日本は沈没する。中国の歴史教科書は酷い。これじゃ嫌日になってしまう。それじゃいけない。中国のあちこちを歩いて話をしたい。年々増え続ける中国の軍事予算、大国であるから理解できる面もあるが、その透明性を高めなければならない。中国の駐日大使も、もちろん出席していたが、その面前でこういうことを言っていた。
別の場であるが、丹羽宇一郎、こういうことも言っている。今回の中国大使を引き受けた心境を。
この年だから思い悩んだが、限りある命を、国に捧げようと思った、と。
丹羽宇一郎、71歳なんだ。丹羽宇一郎の70代、報国の70代だ。
何日か前に書いたように、私は、普通の人は、60すぎぐらいで引退をするのがいい、と思っている。しかし、丹羽宇一郎のような能力のある人は、何らかのものに報いる人生を送ってもらった方がいい。
丹羽のような能力がなくても、気力、体力のある人は、報国ではなくても、地域の為、子供の為、役に立っている人は多くいる。公民館の世話係をしたり、小学生の下校時に道路に立っていたりする。この人は70を越えてるな、と思える人が。
これらの人、報地域、報子供、だといえるだろう。能力はもちろん、気力、体力、いずれもない私にはできないが、報国にしろ、報地域にしろ、報子供にしろ、報○○の70代、みなエライ。