年代(3) 50代・・・統率。

「凄いな、これは」と思いながら、触れる機会を逸していたことがある。ひと月半ほど前の「はやぶさ」の帰還である。
月よりもはるかに遠くにある小惑星「イトカワ」に着陸し、何かを採集し、オーストラリアの砂漠に帰ってきた「はやぶさ」のカプセルのことが報じられたのは、6月14日。W杯のカメルーン戦の日であった。
「凄い」、と思いながらも、カメルーン戦は、国民的一大関心事、触れなかった。
しかし、「はやぶさ」の帰還、べらぼうに凄いこと。打ち上げは2003年5月、60億キロの旅だった、という。私が、感覚として解かる距離は、せいぜい1万キロ。その何倍かも解からないほどの距離を飛んで、はるか彼方の小さな星「イトカワ」に2度も着陸し、何らかのサンプルを取って、7年をかけて帰ってきた。凄い。
それよりも、その間、姿勢制御装置が故障したり、燃料が漏れたり、電池が切れたり、行方不明になったり、とさまざまなトラブルに見まわれた。だから、4年で帰ってくる予定が7年もかかってしまった。
トラブルの度に、日本の学者、如何にすべきか、その対処法を考え、地球に帰還させた。通信が途絶しどこにいるのか分からなくなった時でも、その解決策を見出した。さすが、JAXAの連中、科学者は凄い頭の持ち主なんだ。
おそらく、4〜50代の学者が中心となり、2〜30代の頭が柔らかく、また、鋭い若手を使い、リーダーは、50代半ばぐらいの男だろう、と考えた。その後の会見に何度か出てきた、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎という人、たしかに50代半ばといった風に見えた。
その後、JAXA(宇宙航空研究開発機構)のHPや、「川口研究室」のHPを見た。やはり、「はやぶさ」プロジェクトのリーダー・川口淳一郎は、55歳であった。
職種によって異なるが、大まかに言って、仕事の場で最も力が発揮できる年代は、40代から50代であろう。特に、40代半ばから50代半ばという頃が、もっとも脂の乗った年代だと思う。組織を統率し、牽引するにもっとも適した年代だ。世界に誇れる「はやぶさ」プロジェクトを遂行してきた50代半ばの川口淳一郎、まさにその世代である。
はるか彼方の小惑星の探査ができる国は、今、アメリカとロシア、それにヨーロッパの国々の連合体でしかできない。日本以外では。今回の「はやぶさ」は、最も遠い「イトカワ」(イトカワとカタカナ表記であるが、糸川英夫のイトカワだ。これにも、私の年代は、グッとくる)まで行って、何らかのサンプルを採集している。
日本人として誇らしい。何か、凡庸な我々の頭まで、少しよくなったような気にさせてくれる。
ついでだから、随分ブレてはいるが、「はやぶさ」のサンプル回収の映像を載せておこう。たしか、カメルーン戦のハーフタイムの時に、NHKが流したものだった、と思う。

7年、60億キロの旅を終え、大気圏へ再突入した「はやぶさ」。火の玉のようだ。

これが、「はやぶさ」のようだ。
青いものは、太陽電池のパネルじゃないかな、おそらく。

小惑星「イトカワ」に着陸した「はやぶさ」。
これが実写なのか、想像図なのかは、憶えていない。何しろ、カメルーン戦のハーフタイムの時だったと思うので、「凄い」とは思いながら、気もそぞろだったんだ。

何とか判読できるかな。こういう期待が、ということだ。

「はやぶさ」自体は、大気圏への再突入時に燃え尽き、中のカプセルだけがパラシュートで降りてきた。
予測通り、オーストラリアの砂漠で見つかる。

カプセルの回収作業。
「イトカワ」の何らかのサンプル、物質が採集できたか否か、今、分析をしているようだ。だが少なくとも、ある程度の大きさのものは、見つかってはいないらしい。目にはみえないもので何か、を分析している段階だろう。

これだけが降りてきた。

映像としては、やはり、火の玉となって燃え尽きる「はやぶさ」の姿が、いいな。サンプルがどうこう、というよりも。
「川口研究室」のHPに、STUDYという個所があり、あちこち(とは言っても、東大の連中が多いが)の学校を出た学生、研究者が、短い文章を書いている。○○研究とか、○○考察とか、○○設計とか、といったものを。
50代半ばまで、「はやぶさ」プロジェクトを統率してきた川口淳一郎、これからは、次代の統率者を育てる年代に入るのだろう。